以下は、2週間のド短期ボローニャ語学留学帰国時の思い出です。
シンガポールに下見に行く直前で、会社からエアチケットももらっていて
イタリアから帰れないからシンガポールに飛べません、とも言えない状況でした。
2010年当時はまだスマホも普及しておらず、イタリアの internet 環境もかなり遅れていたので情報入手などに結構困りました。便利な世の中になったもんです。
(2019年加筆)
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というわけで、ご存知の通り
アイスランドの火山噴火によりヨーロッパが大混乱となっているけれど、私もまたその混乱の一部になってしまいました。
比較的早い時期に帰国できて、今振り返ってみるとラッキーだったのかな、とも思う。
1週間待ち続けた人も多いのだから。
14日に起こった噴火については、TVからもNETからも切り離された状態で知りようも無く、15日夜になってやっと周りの人間から聞かされた。
翌日午前にイギリスに帰る予定だった同じ家にステイしているヘレナが
帰れなくなりそうだと。
私の帰国日は18日(日)でまだちょっと先だったから、結構他人事のように思っていた。
が、翌日16日にはボローニャ空港が閉鎖されたままだとわかり、
少しずつ不安がつのり始める。
ボローニャからローマ、ローマから関空と全行程が飛行機の予定だった。
17日朝、まだ空港は閉鎖中。
明日は帰らなくてはならないのに。
昼前にラジオで午後2時に空港の閉鎖が解除されるという報道があった。
飛ぶのか飛ばないのかはわからない、とりあえず連絡してみないと。
その日は朝から雨が降っていて、灰なんて全く感じなかった。
ステイ先のシニョーラにボローニャ空港の電話番号を調べたいのだけれど、と言うと、
今朝からヘレナと大声で言い合ってた彼女は
何やらわめきながら電話帳を繰り始めた。
電話番号がわかればそれでいいんだけど。。と思っていたが、
彼女は半パニック状態で空港とアリタリア航空の事務所に電話をかけ始めた。
結果「明日の状態はまだわからないって言ってる」。
そりゃそうでしょうよ。
私が知りたいのは、明日のフライト予定はいつ決まるのか、キャンセルされたらどうなるのかってことなのに。
彼女のあまりの剣幕に、落ち着いてた私まで軽いパニックになってくる。
おかげで、胃が痛い。
とにかく明日の朝、電話してみることにしてその夜は早く寝ることにした。
18日早朝、暗いうちから目が覚めた。
5時ごろボローニャ空港に電話してみる。
「Today's flights are all canceled.」
やばいよやばいよ。
南のほうはまだ大丈夫そうだという昨日の情報を信じて、
とにかくローマへ行くことにした。
ボローニャ中央駅でローマ行きのEUROSTARのチケットを買う。
次の列車はもう1等しか空いてないと言われ、
1時間半待ってその次の2等でローマに向かう。
2時間の移動途中、車窓からみえるトスカーナの風景はとてもきれいで心を和ませてくれた。
そう、「こんな風景も見ることができた」とポジティブに考えればいいじゃないか。
天気もいいし列車の旅も悪くない。
さて、テルミニ駅はものすごい人であふれていた。
荷物も多いのでそのままTAXIでフィウミチーノへ向かう。
運転手はスペイン人で気のいいおじさん、ちょっと気がほぐれる。
空港、駅以上にすごい人、あっちにもこっちにも行列ができてる。
関空行きのフライト表示を確認、CANCELEDではなくチェックインカウンター番号の表示がある。帰れるのか?と思ったが、カウンターに行くと「全部欠航したんですよ。あちらの列にお並びいただいて、振り替え便の予約をなさってください」と。
横に座ってた30人くらいの団体ツアー客のところに添乗員らしき人が戻ってきた、こう叫びながら。「みなさーん!ご安心ください!23日の便がとれましたー、ホテルも確保しましたー、もうしばらくローマで旅を続けましょうー!」って。
おいおい、23って。。。
とにかく、ながーい列に並ぶことに。
20分ほど並んでふと見ると「振り替えの方はこちらまでお電話を」てな張り紙を見つけ、早速電話してみたがボローニャは火曜まで閉鎖ですから無理です的なことを言われ、もうローマにいるんです、では予約番号は?、ええっと。。。というところでなぜかブチっと切れる、二度とつながらない。
サイアク。
素直に行列しとけってことか?
結局、1時間ほど並んでやっと私の番がくる。
アリタリアのお姉さん、しばらくPCをかちゃかちゃやってたけどため息ばかり。。。
と、「How about Narita? It's tomorrow afternoon.」
「If I'm waiting for..」
「The only one last seat, make up your mind now!」
「OK!I take it!」てな感じでとにかく明日のチケットゲット。
23よりましでしょー。
今度は今夜の宿とらないと。空港で一夜はしんどすぎる。
階下のホテル予約代理店まで行くとまたまた長い列が。
また1時間ほど待って、空港近くのリゾートホテルを予約してもらった、ビジネスホテルは全て満室だと。
高かったけど一緒に1時間待ってたイギリス人のおばさんに「We haven't many options.」といわれ納得。
さて、シャトルバスに違うホテルに置いてかれたり、やっとチェックインした部屋の鍵が開かなかったのはおまけみたいなもの。
6時ごろになってやっと体を休めることができた。もうへとへと。
でも、明日の便は午後なのでチェックアウトぎりぎりまで寝られそう。
さて19日。
アメリカ人、中国人のゴルファーが楽しげにしてる横で、朝食をもりもり食べゆっくり体を休めていざ出陣。
15:10発予定だったのでお昼ごろチェックイン。
スーツケースとやっとさよなら。
お昼を食べてゆっくりしてたら、いつのまにかゲートが変更に。
ゲートを移動すると今度はいつのまにか出発が17:10に。
聞いてないしー。
旦那からのメールによれば、成田からの便がやや南よりの航路を取っているため2時間遅れるらしいという。
なんで、現場にいる客に伝えてくれないんだろう。
また二時間待ちかぁ。
その間にコーヒーを二杯も飲む。
搭乗してからもすぐには出ず、18時ごろやっと動き出した。
飛ぶまで心配だったけどまさか引きかえさないよね???
ギリシャ、トルコ、モンゴルと通常よりやや南の航路を取り2時間余計にかかって成田へ。
やっと日本についたーーー。お昼の2時ごろ。
でもこれからどうやって大阪まで帰ればいいのか。
羽田も遠い、新幹線なら3時間かかるし新大阪からも帰りにくい。
ええい、伊丹まで乗ってまえ、ここまできたらいくら使ってもそんなかわらんわっ!てことで、5時くらいの伊丹便に乗る。
やっと伊丹。
おなかすいた。
モノレールで帰路につく、なんてここはフツウなんだろう。
全てが日常的で穏やかで、今までのあれこれがうそのよう。
7時ごろ帰宅。
ああ懐かしい我が家!
結局、ボローニャのステイ先を出てから大阪の家に帰宅するまで54時間の旅でした。
途中、何度もメールをくれた現地の友達には本当に感謝です。
彼らもまだ帰れずにいるようですが。。。