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2020年10月25日日曜日

かくへいきのおわりのはじまり

 24日、核兵器禁止条約(TPNW)への批准国が50カ国に達し
やっと2021年1月より発効が決定。


核保有国や
唯一の被爆国でありながら日米安保に守られている日本も
批准しない姿勢ではあるもののまずは第一歩。


10年以上前から平和運動に関わってきている私。


2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)。
日本での認知そして活動支援のために作られたドキュメンタリーの
日本語字幕やナレーションのお手伝いを昨年させていただきました。


他にいくらでも平和的な使い道のある莫大な予算が
今日も世界中で軍事に使われている。
なるべく早く核兵器が地球上から消えてくれればいいのにと思います。


↓がトレーラーです。




2020年10月14日水曜日

Bahasa

 

てな感じで、日常の大きな部分がインドネシア系で埋まることが多くなり
最近は会えないけれど、マレーシア人の友達がいることもあり
一緒にやりませんか、と誘われたこともあり
インドネシア語を始めました。


あれだけ一所懸命に勉強してたイタリア語も
今やほとんど使うこともなく錆びつきまくってるのに
また新しい言葉かい?


が、始めてみれば意外と楽しい、これが。


全く知らない言葉なので覚えるのが大変かと思っていたけれど
あれれれ、聞き覚えのある単語がボチボチあるんです。
そう、シンガポールでの記憶。


シンガポールはそもそもマレーシアの一部だったから、
地名や食べ物の名前にマレー語が多い。
そしてマレーとインドネシアは同じ民族で言葉もほぼ同じ。
(というか、広大なインドネシアで公用語を決める時にマラッカあたりで使われてきたマレー語を基にしたらしい)


Bukit Timah, Bukit Merah, Bukit Panjang,
Pasir Panjang, Tanjong Pagar,
Nasi Goreng, Mi Goreng, Nasi Padang, Mi Rebus, Ais Kacang, Rambutan
とかなんとかなんとか。


意味も知らず音で覚えてたいろんなものの意味がわかって、なんか面白い。


まだまだ小学生以下の語彙しかないけれど
もうちょっと頑張って
マレーシアの友達と英語以外でちょっとは話せるまでになりたいぞ
と思うのであった。


それにしても、イタリア語もインドネシア語も
一番覚えが早いのは食べ物系の言葉なのは、食いしん坊だからだな。


マラッカのチキンライス


2020年10月12日月曜日

Ethnic Night!



この時期はいつもあれこれお祭りやらイベントが多いはずなのだけど
例の「王冠」のせいで何もない。
芸能で生活している人には、収入が全くない状態が数ヶ月続くという辛い状況。


そんな中で、助成金をもらってオンライン・イベントやろうぜという話が持ち上がり
どうなるんやろう、どうやるんやろうと思いながら参加表明したのは
「Ethnic Night」と題したジャワ芸能のお祭り。
(YouTube チャンネル: https://www.youtube.com/watch?v=7lKnWxTfAQE



いつの間にか、ガムラン鳴らしながらヨガもやりましょう、
インドネシアとも繋ぐし世界中に発信ということで英語でお願いします、
ということになってしまい、ヨガ、英語、ガムランと
ある意味、ここ数年の集大成とも言える機会となり・・・。


ワヤンも、いつもなら十数人が集まって何回も練習するはずなのだけど
今回は「三密」を避けるために半分ずつ。
そんな中、濃厚接触者になってしまったメンバーの陰性結果を待ったりと
通しで練習することもなくいきなりの本番!


音響、照明などプロにまかせっきりとはいえ
オンラインでの配信も初めてなら、
オンラインで繋ぎながらそれをまたオンラインで流すのも初めてで
音がどんな風に聞こえるのか実験に近い状態で。。
いろんな意味でドキドキ。


でも始まってみれば、
設営からリハから本番から撤収まであっという間で
ドキドキしまくりで失態しながらも楽しくて。


ワヤンの演目は「Dewa Ruci」

紙切りパフォーマンスもあり

踊りは「Lambang Sari」


マスクして換気しながら距離を保ちながら除菌しながら
とまあ、めんどくさいことになりましたが
やればできるやん、と、嬉しくなり。


10年前くらいにSkype が普及し始めて
海外で暮らしていても日本の家族と普通に話せるようになったけれど
今では、オンラインで画像繋ぐのが普通になってきて
行けないけれどますます海外が近くなってきたような気もする。
国境が薄れるというか。


・・・いや、全然越えられないんだけど、今は。
(年始に申し込んでたフライトは全部キャンセルになったし)


主催者、スタッフ、会場が許してくれるなら
もう一度やりたいねーと希望をつのらせるのでした。



2018年10月6日土曜日

長野でヨガリトリート

シンガポール時代に最初に通っていたヨガスタジオのオーナーが長野県穂高でリトリートをするから一緒に来ない?と誘われたのは今年の5月。
誘ってくれたのは、アメリカ西海岸の赴任を経て現在東京にいる私の最初のヨガの先生。
主催の元オーナーは、現在オーストラリアの南西部にいるシンガポーリアンで、
学生時代を長野県で過ごしているので日本語がとても上手。その彼女が、今のオーストラリアでの生徒さんたちを連れて長野にやってくるという話でした。
・・・ややこしいいでしょ?笑


まあ、早い話が、英語しか話さないオーストラリア人たちと久しぶりに会う古い知り合いと一緒に長野で一週間過ごすということ。面白そう!



というわけで行ってきました。



ご存知の方も多いかもしれません。
穂高にある養生園
1日2回のマクロビ菜食(10時半と17時半)、22時消灯で睡眠をたっぷりとる。
山に囲まれ自然がいっぱい。温泉があり、セラピーがあり。
化学物質をできるだけ排除して、人間にも自然にも優しい暮らし。
そして自己免疫を高めるための養生をする。






今回のリトリートは、彼女と養生園のスタッフが考え抜いてくれたプログラム。
朝はヨガやウォーキングで始まり、
本当に美味しいブランチのあとはいろんなアクティビティ。
のんびりしたりお風呂に入ったり、はたまた歩きに行ったりイベントがあったり。
あっという間の一週間でした。







携帯の電波も入らない場所で、テレビもラジオもなく、
ただ風と雨の音を聞き、太陽の光を感じ、
みんなと会話を楽しみ、一緒に食事をしたり片付けたり。
体の緊張が徐々に解けていくにしたがって、心も柔らかくなっていきました。
泥臭い人間界よりまるで天界の方が近いような、そんな気持ちにもなりました。



最終日、みんなと別れることが嘘みたいで。
きっとみんなも、すごく特別な経験になったはず。
もちろん私にとってもすごく特別な経験になりました。









2017年11月23日木曜日

Save the Phoenix of Hiroshima

(English is below)



以前からご縁があって、翻訳でお手伝いしている立命館大学平和ミュージアム

そこでボランティアガイドをされているT女史からのお話で
今回は、米国はLAデルタに沈んじゃっている反核で世界を廻ったヨットを引き上げようのプロジェクトに関わっています。


広島名誉市民になられた平和活動家の故バーバラ・レイノルズさんと
戦後、米国政府の依頼で広島被爆者の研究をしていた故アール・レイノルズ氏の
子供であるテッド・レイノルズさん、ジェシカ・レンショーさんらによって
このヨットを引き上げて、平和のシンボルとして保存しようということになっています。


バーバラ・レイノルズさんの記念碑(広島)
Memorial to Barbara Reynolds in Hiroshima



大きな川の底に沈んでしまっているので
引き上げるのはそう簡単ではないそうですが
全世界から募金を集めてこのプロジェクトを成し遂げようとしています。
そして、引き上げたヨットを修復して展示などのために保存するには
さらに莫大な金額がかかると予想されています。


現段階では、米国内での募金活動を広めるためのウェブサイトがあり、
そこにはこのヨットがどのような経緯を得てどのような活動をしてきたのか
なぜ、今これを引き上げようとしているのかなど詳しく書かれています。

URLはこちら👇













来月12月には、反核活動家のヘレン・ジャカードさんが米国より来日され
東京から福島、京都、広島、長崎などを講演などで廻られます。
その間、フェニックス・オブ・ヒロシマについても募金活動をされる予定です。


が、残念ながらまだ日本語でのサイトや募金の方法などが確立されておらず
これからの数週間で準備をする予定でいます。
とりあえずは、メンバーのブライアン・カウデン氏が制作された
フェニックス号とそしてその活動に関わった人物たちの動画に字幕をつけるところから始めました。


もちろん、英語でも可能な方は是非 HP をご覧になって
賛同いただけるようであれば募金をお願いします。
ページ上の "Donation" をクリックしていただければ PayPal サイトにリンクします。


フェニックス・オブ・ヒロシマ号
海に浮かんでいる最後の姿
The last photo of Phoenix of Hiroshima afloat


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I've translated from time to time for Kyoto Museum for World Peace for more than eight years.Through a volunteer guide of the museum, Ms T, now I'm working with the project for salvaging a yacht which used to voyage around the world protesting against the nuke. And she is now deep sunken in the LA delta.


By peace activists including Ted Reynolds and Jessica Renshaw, who are children of late Barbara and Earle Reynolds, the project is underway to salvage and preserve this yacht as a peace symbol. Barbara was renowned activist and became honorable citizen of Hiroshima, Earle was the anthropologist who researched A-bomb victims in Hiroshima by order of the US government after the WWII.


Although it is not so easy to raise the boat as it rests on the bottom of a large river, they are dedicating themselves to achieve this project by raising a fund all over the world.
And to restore and preserve the sunken yacht, they have estimated that it requires a much larger amount.


There's a website for this fund raising where you can find details including what this yacht went through, how it was used for nuke protest, and why they are trying to raise it right now.

Here is the URL👇







If you share their commitment to preserving history and promoting peace, please consider donating today. 

Thank you.



2017年6月25日日曜日

トーホク

5月のGWに東北に行ってきた。

というのも、かの芸術家、岡本太郎さんの東北写真集に携わることになり
彼がたどった道々で捉えた東北の文化や人や景色について調べているうちに
どうしても自分の眼で見たくなったから。

海外へ出てから距離感の単位が大きくなったようで、
数時間の移動でたどり着けるところなんて近いと思うようになった。
なのに意外と日本の中でも行ったことのない地方の多いこと!
そのひとつが東北だった。
蔵王の雪山に行ったくらいで、以北は完全に未知の世界。

というわけで、突如、宿とフライト、レンタカーの予約をしたのだった。
日本っていいね、日本語と日本円が使えて、持ってる免許証で運転できるし。

当たり前なんだけど。


伊丹から仙台に飛んで、平泉からどんどん北上
十和田湖から奥入瀬渓流を散策したあとは
日本海側に移動して最後は秋田空港から大阪へ。


それにしても、関西や北陸やらの風景とはかなり違う。
いちいちスケールが大きくて、平地も広くて山の形もなんだか違っていて
どっちかというと北海道に近いのかな。
当たり前だ、位置的にも北海道に近いのだから。



・・・とここでまた不思議な感覚。




飛行機であっという間に来てしまったが
ここは、昔の都京都なんかより、今の都の東京より
ずっとずっと北海道やロシアやなんかに近いのだ。
自然だけでなく人の感覚が違っていて当然じゃないか。
とおおおい都から、なんかよーわからん奴がやってきて
征夷だとかのたまって、勝手に暴れやがって、みたいな。

これも当たり前のこと。
けれど、その場に行ってみないと感じられない感覚。
冬はきっとずっとずっと厳しい土地に違いない。



中尊寺

桜が!

立派な並木

この辺の地ビールだったとは知らなかった

川の流れを見ながら温泉満喫♪

ざ・ニッポン

小岩井農場も行った

奥入瀬渓流


太郎さんの作品


ああ、それにしても、よー走りました。
最近の自動車は燃費がよくて
一度も給油せずでした。





で、最後に告知。
ちょこっと翻訳した「岡本太郎の東北」小学館クリエイティブから発刊です。
どぞ、よろしく。


2017年3月27日月曜日

みっつのことば

まったく畑違いの学部を卒業してすぐ
海外不動産に携わることになった私ですが
20代半ばでなーんとなく始めた英語の勉強を
30過ぎて退職してからもうちょっとまじめにやり始めたわけです。

そうこうしているうちに、なーんとなく翻訳に興味がわいてきて
翻訳学校に行きだしたのは、実は社内翻訳の仕事が決まってからという
なんとも後付けな感じなわけですが、その時すでに30代後半でした。
(まあ、なんでも10年もやりゃあ何かにはなるって証拠かな)

そんなころ、翻訳学校で日英(日本語を英語に訳す方)をみっちり教えて頂いた先生が
教鞭をとっておられた大学をなんと退官されるとのことでパーティに行ってまいりました。


シンガポーに行く前までお世話になっていたので、かれこれ7年ほどご無沙汰してましたが
以前とお変わりなくお元気でエネルギッシュかつ暖かいオーラを持っておられました。
「先生」という人種はほんとうにすごいといつも思うのだけれど
大勢の、本当に数えきれないほど大勢の生徒たちを見てきたはずなのに
必ず生徒ひとりひとりを覚えておられる。
私なんか、ええっと誰だっけか?なんてことしょっちゅうなのに
お会いした瞬間に「ああ!ひさしぶりね!ええっとどこか外国に行ってたんじゃなかったっけ?」


ばれてます。

帰国して早3年近く、まったくご連絡もしておりませんでした。はああ・・・




退官に際し、今までの功績などをスライドで上映されましたが
それにしてもなんともはや、すごいお方でいらっしゃいます。

まあ、私はと言えば、
最近はめったに行くことのない高級ホテルの料理とワインを必死でがっついているくらいで・・・



で、最後にされた先生のスピーチがあまりにも素敵すぎたので、
今日の自分のヨガクラスでもみんなにシェアしちゃいました。

それが以下のみっつのことばです。



Bloom where you are planted.
植えられた場所で花を咲かせなさい

つまり、与えられた環境で最善を尽くしなさいということ。
全くもってヨガ哲学そのものではないですか!
結構有名な言葉ですが、その出所はわからないようです。



どうしようか迷ったときは行動しなさい
If you cannot decide, do it.

行動しなかったことで悔やむより行動して悩んだ方がましということ。
そして先生は、この言葉を自分が迷っていた時にご主人からもらった、
そしてお姑さんにもサポートしてもらったと感謝されていました。
周囲の支えなしでは人は十分に生きられない。



失敗は存在しない
You never fail.

あるとすればそれは失敗した時点でやめているから。
成功するまで続けなさい、と。
かなりの意思力が必要だけれど、結局これが必要なんだなと。

なかなか実践できないかもしれないけれど、
ちゃんと姿勢を正して生きて行こうと(パンナコッタを食べながら)思ったのでした。




ちなみに、ある大学は退官されますが、現役はまったくもって退かれません。
これまでと同様に、教鞭も研究も論文発表も続けて行かれるそうです!

素晴らしい!!

La vita e bella!!



2012年7月31日火曜日

Eigo

さて、空白の1ヶ月間何をしていたかというと
恥ずかしながら試験勉強。

今更ながら、シンガポールでは公用語のひとつが英語。
その他に、中国語、マレー語、タミル語(南インドの言葉)がある。
国民の70%が中華系で中国語を話す人が圧倒的に多いのだが
外国人の多いこの国では、やはり英語が基本。

が、実のところ、生活をするだけではそんなに英語ができなくても、そうは困らないのがこの国。
(あえて言えば苦情を言いたいときくらいかな?)
とはいうものの、日本で接する英語の多くが American English なのに比べて
かつてイギリス統治下にあったシンガポールでは British Einglish が使われているので
この際、ちゃんと British English を勉強してみようかと思って
学校に通い始めたのが去年のこと。

そこで何の因果か、ちょうどいいのがなくてなんとなく入ったクラスが
Cambridge 大学 ESOL(English for Speakers of Other Languages) の
CAE(Certificate in Advanced English) 受験準備コースだったわけで。
それまでのコースは、何となくお気楽に時間潰し感覚で授業に出ていたのだけど、
さすがに受験コースだけあって試験問題をどんどんやらされるし、覚えることだらけ。
Writing と Speaking では、自分の考えを表現しなくてはいけないという面で
TOEIC なんかよりずっと大変だし、英語を使う本当の能力を試されると思った。
TOEIC は、何度か受験してるとだんだん慣れてきて
なんとなくスコアも上がってくるし。

一応、私の母校は、在学当時でも英語教育ではそこそこ進んでいたはずだけど
そもそも、日本の英語教育なんて「ちょっと表面だけ」みたいなもので
ヨーロッパ諸国に比べれば、言語環境の違いも大きければ、英語能力の差も大きい。
面白いのは、彼らはとても流暢に話すくせに、文法が苦手だったり読み書きが苦手だったりする。
全く言語が異なるアジア人の場合、これが全く逆。で、私もそう。
翻訳をしていることもあって、読み書きはだいたいできるけれど、話すことが実は苦手。
特に、会社勤めを辞めて、家に独りでいることが多くなってから
日本語で話すことさえ怪しくなってきたくらい。。。アワワワワワ・・・

というわけで、6月初旬の試験に向けて約1ヶ月間、
絵画教室もお休みして試験勉強に専念することになったわけ。

が。

この歳になって、そうそう集中力も続くわけもなく
覚えたものはすぐに忘れてしまい
British アクセントに悩まされ
まあ、毎日1時間勉強できればいいところ、と言った感じ。
けれど、ビンボーショーの私、受験料がSD420(約27000円!)と高額なのがもったいなくて
それだけのために(笑) 結構、必死ではあったわけで。

そんなこんなで、Speaking 以外の科目(Reading, Use of English, Writing, Listening)を
約5時間かけて一日でやってしまおうっていう過酷な受験を乗り越え
(はっきり言って、硬い椅子の上で私は腰痛になった)
なんとか合格できました。パチパチ

予想通り、読み書きの出来がAだったのに比較して、Listening と Speaking の酷さが目立って
とても満足できる出来とは言えないけれど、ま、合格したんだから、ね。

CAEの認定が嬉しいことは当然だけど
今回得られた一番の宝は、一緒に勉強したクラスメイト達。
みんな、任期が終われば母国に帰っていく人たちで
同じ日本人だって、地方が違えばなかなか会えないし、また他国へ赴任ということもある。
なんだかわからないけど、こうして縁あって会えた人たちを大切にしたいなぁと思う。

・・・試験の後もう1ヶ月以上も経つというのに、すっかり私は燃え尽き症候群状態
です。

2010年11月4日木曜日

Tongue and Nature

こっちに来て、まず最初にしたこと。
どこで何が買えるのかと物価の調査、いわゆる観光地の見学、そして、イタリア語講座の申し込み。
せっかくボローニャにプチ留学してて、ちょっとはましになったイタリア語を忘れないために、と思ってだ。でも、さすがにイタリア語漬けだった日々とは比べ物にならなくて、週1回のレッスンくらいではなかなか上達はしないが、何もしないよりましだ。それに学校でいろんなイベントの情報やチケットをくれたりするので、とっても有り難い。

英語と中国語のバイリンガル華人がほとんどのこの国でイタリア語をやろうなんてのはどんな人だろうと思って行って見たら、意外というかやっぱりというか、ほとんどが外国人だった。仕事で必要な人、趣味で勉強している人、結婚相手がイタリア人な人等々。テキストを使ってCD音声を聞いてネイティブの先生に習うという形態は、日本で通ってた講座と一緒。値段も1クラスの生徒数もなぜか同程度。何が違うかと言えば、やっぱり生徒。一言で言えば、みんなアグレッシブ!

日本だと、例えば先生から質問されないと発言しないことが多い。もうこれは、小学校から身に付いてしまった習慣なんだと思う。授業中に変に発言すると「空気読めないヤツ」って思われる。だから、授業は完全に先生一人の主導で進んでいく。自分をあまり前に出さず集団に馴染むように教育されてきた日本人は、なかなか人前で自分の意見を言ったり反論したりしにくいものだ。発表やディベートの機会がほとんどないまま大人になってしまって、社会人になって苦労する人も多いと思う。

けれど、ここでは環境が全く違う。脳科学者の茂木さんが「根拠のない自信を持て」と言っていたが、言われなくてもみんな持ってるって感じ。みんなが自分からどんどん発言したり質問したりするもんだから、当然、授業は脱線してばかり。それでも、どうしてもわからないとき以外は全てイタリア語で話さないといけないので、それはそれで勉強にはなってる。逆に、黙ってたり質問しなかったりすると「つまらないヤツ」と思われるし、人の話ばっかり聞くはめになって自分の勉強にならない。だから授業は、いつもとても賑やか。大人同士だから「あ、失礼」とかなんとか一応ひとこと言うけれど、同時に何人もが話し始めることもよくある。(そんなところまでイタリア人らしくなってきているのかもしれないけれど!)

ところで不思議なもので、日本人の間で普通に日本語で話しているときは、相手を立てて話全体がスムーズに流れるようにと気を使う。が、そこに外国人が混じって言葉が英語になると、どんどん意見を言ったり直接的な言い方になっていく。そこに流れる空気感はまた、イタリア語で話している時とはなんとなく違ったりする。それぞれの言葉の響きや文の構造がそうさせるのかもしれない。それでもやっぱり、相手を思いやるという日本人の美しい気質は失くしたくない、と思う。

The first things I did after I settled in this country were; research on I can buy what, where and how much; visit to the tourist sites everyone goes; and enrollment in the Italian language course. I was in hope of remembering my Italian which had progressed a little during the petite study in Bologna. A three-hour class a week is not comparison with the days when I immersed Italian, but better than nothing. And I'm so glad that the school occasionally gives me information and a ticket of events.

I was wondering what people want to study Italian in this country where most of the people are Chinese descents speaking both Chinese and English. And I found out, surprisingly or predictably, that many of the students are foreigners. Someone needs for the job, another studies as a hobby, and the other is married to Italian, etc. The form of the lessons are almost the same as my previous school back in Japan, using a text book, listening to CD, and learning with a native Italian teacher. And also the number of students and cost are similar, I don't know why. What is different is the students. In a word, aggressive!

In Japan, we barely say something unless being asked by teacher in the class. I think it's a kind of our practice we've learned from elementary school. If you say something carelessly in the class, you will be considered as "a mood breaker". So, the class is always led by the teacher alone. For Japanese, who are educated not to stick out themselves and to blend in a group, it's somewhat hard to venture an idea or retort others in public. I guess that not a few are struggling in the real world, growing up with limited experience of presentation or debate.

The environment here, however, is totally different. Dr. Mogi, a Japanese brain scientist, says "Japanese need to have unfounded self-confidence", but they all already have. All students voluntarily speak out and ask a question, and the topic is often off the track, naturally. Even so, such conversation definitely is a good lesson because the students have to speak Italian unless we really don't know what to say. Different from Japan, if you are in silence, you will be considered as "a bore" and you can learn nothing only listening to other students' stories. So, the class is always full of voices. As adults, we say "oh, scusa" or something, but
sometimes more than three persons begin to speak at the same time. (We've become like Italiani even in that part!)

By the way, when I speak with Japanese in Japanese, I try to pay my mind to treat others with respect and flow the whole talk smoothly. Once a foreigner comes in the scene and speaking language changes into English, strange to say, I tend to speak out more directly. The atmosphere there doesn't seem to be the same when I speak Italian. It may be because of the sound and structure of each language. But still, I want to keep beautiful Japanese nature in me to respect others.

2010年10月26日火曜日

2 steps, 4 steps or 3 steps?

週末、いつも寝坊な私が珍しく早起きしたので、旦那と二人で散歩にでかけた。前日の雨のあかげで気温も低めなので、歩くにはもってこいの朝。行く先はテキトー、とにかく水辺に向かって歩こうということに。
いつも騒音いっぱいの車道から離れて運河沿いの歩道をしばらく歩けば、河の合流地点に出て整備された遊歩道になり、ジョガーも増えてくる。このあたりから埋め立てられた新興地であるのは確実、整備の程度があまりに違いすぎる。

爽やかな風が心地いい。先日までF1で使用されていたスタンドが解体中の現場を横目に見ながら、ボートの練習する掛け声を聞きながら、ダックツアー(水陸両用車)の観光客の歓声を聞きながら、時折ベンチで休んでOREOを食べながら、散歩を楽しんだ。いい散歩道を見つけたなあ。

夜には、ディーパバリと呼ばれる新年を祝うお祭りのライトアップをリトルインディアに見に行った。オレンジ色の腰布を巻いて枝を持った人が行ったり来たり。いつもの週末のように、まわりはインド人だらけ。

ところで、イタリア語では散歩することを"fare due(quattro) passi"=「2(4)歩する」という。奇数が好まれることが多い日本や中国と、こんなところでも文化が違うのだなーと面白いと思う。

On the last weekend, I woke up early for a change. So I went out for a walk with my husband. The temperature was rather low thanks to the previous day's rain, which was good for taking a walk. Without deciding where to go, we just headed to the waterfront. Walking away from the bustling streets lead us the junction of rivers and a well-maintained walking trail with many joggers. Around here, it must be a new reclamation area, with the far better condition than the other areas.
Brisk breeze made me fresh. Walking along the dismantling site where the stand for F1 was there until the other day, hearing the orders from the regattas and tourists' glee from duck tour(amphibious vehicle tour), sitting on a bench and munching OREOs, we had fun from them. We've discovered a good walkway for weekends.

In the evening, we went to Little India to see the street illumination of Deepavali, a Hindus festival to celebrate the triumph of good over evil and of light over darkness. Many men with orange-colored dhoti and a branch were strolling up and down. The street was  filled with Indians as usual weekends.

The Italians, by the way, say "fare due (o quattro) passi (do 2 or 4 steps)" in the meaning of to take a walk. It's interesting that the cultures are so different from China and Japan where odd numbers are considered to be preferable. And, well, if I daresay it, "a walk" in Japanese is "sam-po" which is the same sound of the term meaning "three steps".