以前お知らせしていた、フェニックス号のウェブサイトに
日本語のページを付け加えました。
URLはこちらです。↓
http://phoenixofhiroshima.org/donate/japanese
フェニックス号がどうやって作られたのか、どんなことをしてきたのかなどのテキストを
日本語に訳して1ページにまとめてあります。
より詳しくは、そして多くの写真が英語のページにあります。
寄付をしていただける方は、「寄付する」ボタンからジャンプするPayPalサイトからお願いします。諸事情により、USドルでの受付のみとなっています。ご了承ください。
なお、この件についてのご質問や要望などはこちらではなく、ウェブサイトから送信下さいますようお願いします。
4年間の大変で楽しい Singapore 生活は終わったけれどまだまだ人生の旅は続く
My life in the little red dot filled with a lot of troubles and so much fun is over now. Still my journey continues through the wave of life.
2017年12月16日土曜日
2017年11月27日月曜日
Peace Talk in KYOTO by Helen Jaccard
さて、前回の記事で書いていたフェニックス関連情報です。
フェニックス・オブ・ヒロシマというヨットで核実験反対を訴えて来た家族。
その行動を始めたきっかけが、ハワイで出会ったゴールデン・ルール号でした。
そして、今尚、そのゴールデン・ルール号で世界を航海し続けているアメリカ人たちがいます。
そしてそのうちの一人である、ヘレン・ジャッカードさんが初来日され講演されることになっています。
そして、京都での講演会を主催しているのが、例の平和博物館のT女史なわけで。
で、そのお手伝いとして、フェイスブック上でイベントを作成しました。
私たちが字幕をつけた短編のドキュメンタリー「甦れ フェニックス・オブ・ヒロシマ」も上映されます。
ヘレン・ジャッカード講演会
〜海を越え 核なき世界をめざす〜
日時:2017年12月18日(月)18:30〜20:30
場所:京都市下京区 「ひと・まち交流館 京都」第4会議室 (市バス「河原町正面」前)
参加費: 500円
通訳あり 保育あり(要予約)
主催: ヘレン・ジャッカードさんを迎える京都実行委員会
賛同: 核兵器廃絶ネットワーク京都
(追加情報)
12月13日の京都新聞夕刊に関連記事が掲載されました。
フェニックス・オブ・ヒロシマというヨットで核実験反対を訴えて来た家族。
その行動を始めたきっかけが、ハワイで出会ったゴールデン・ルール号でした。
そして、今尚、そのゴールデン・ルール号で世界を航海し続けているアメリカ人たちがいます。
そしてそのうちの一人である、ヘレン・ジャッカードさんが初来日され講演されることになっています。
そして、京都での講演会を主催しているのが、例の平和博物館のT女史なわけで。
で、そのお手伝いとして、フェイスブック上でイベントを作成しました。
私たちが字幕をつけた短編のドキュメンタリー「甦れ フェニックス・オブ・ヒロシマ」も上映されます。
ヘレン・ジャッカード講演会
〜海を越え 核なき世界をめざす〜
日時:2017年12月18日(月)18:30〜20:30
場所:京都市下京区 「ひと・まち交流館 京都」第4会議室 (市バス「河原町正面」前)
参加費: 500円
通訳あり 保育あり(要予約)
主催: ヘレン・ジャッカードさんを迎える京都実行委員会
賛同: 核兵器廃絶ネットワーク京都
(追加情報)
12月13日の京都新聞夕刊に関連記事が掲載されました。
2017年11月23日木曜日
Save the Phoenix of Hiroshima
(English is below)
以前からご縁があって、翻訳でお手伝いしている立命館大学平和ミュージアム。
そこでボランティアガイドをされているT女史からのお話で
今回は、米国はLAデルタに沈んじゃっている反核で世界を廻ったヨットを引き上げようのプロジェクトに関わっています。
広島名誉市民になられた平和活動家の故バーバラ・レイノルズさんと
戦後、米国政府の依頼で広島被爆者の研究をしていた故アール・レイノルズ氏の
子供であるテッド・レイノルズさん、ジェシカ・レンショーさんらによって
このヨットを引き上げて、平和のシンボルとして保存しようということになっています。
大きな川の底に沈んでしまっているので
引き上げるのはそう簡単ではないそうですが
全世界から募金を集めてこのプロジェクトを成し遂げようとしています。
そして、引き上げたヨットを修復して展示などのために保存するには
さらに莫大な金額がかかると予想されています。
現段階では、米国内での募金活動を広めるためのウェブサイトがあり、
そこにはこのヨットがどのような経緯を得てどのような活動をしてきたのか
なぜ、今これを引き上げようとしているのかなど詳しく書かれています。
URLはこちら👇
来月12月には、反核活動家のヘレン・ジャカードさんが米国より来日され
東京から福島、京都、広島、長崎などを講演などで廻られます。
その間、フェニックス・オブ・ヒロシマについても募金活動をされる予定です。
が、残念ながらまだ日本語でのサイトや募金の方法などが確立されておらず
これからの数週間で準備をする予定でいます。
とりあえずは、メンバーのブライアン・カウデン氏が制作された
フェニックス号とそしてその活動に関わった人物たちの動画に字幕をつけるところから始めました。
もちろん、英語でも可能な方は是非 HP をご覧になって
賛同いただけるようであれば募金をお願いします。
ページ上の "Donation" をクリックしていただければ PayPal サイトにリンクします。
--------------------------------------------
I've translated from time to time for Kyoto Museum for World Peace for more than eight years.Through a volunteer guide of the museum, Ms T, now I'm working with the project for salvaging a yacht which used to voyage around the world protesting against the nuke. And she is now deep sunken in the LA delta.
By peace activists including Ted Reynolds and Jessica Renshaw, who are children of late Barbara and Earle Reynolds, the project is underway to salvage and preserve this yacht as a peace symbol. Barbara was renowned activist and became honorable citizen of Hiroshima, Earle was the anthropologist who researched A-bomb victims in Hiroshima by order of the US government after the WWII.
Although it is not so easy to raise the boat as it rests on the bottom of a large river, they are dedicating themselves to achieve this project by raising a fund all over the world.
And to restore and preserve the sunken yacht, they have estimated that it requires a much larger amount.
There's a website for this fund raising where you can find details including what this yacht went through, how it was used for nuke protest, and why they are trying to raise it right now.
Thank you.
以前からご縁があって、翻訳でお手伝いしている立命館大学平和ミュージアム。
そこでボランティアガイドをされているT女史からのお話で
今回は、米国はLAデルタに沈んじゃっている反核で世界を廻ったヨットを引き上げようのプロジェクトに関わっています。
広島名誉市民になられた平和活動家の故バーバラ・レイノルズさんと
戦後、米国政府の依頼で広島被爆者の研究をしていた故アール・レイノルズ氏の
子供であるテッド・レイノルズさん、ジェシカ・レンショーさんらによって
このヨットを引き上げて、平和のシンボルとして保存しようということになっています。
バーバラ・レイノルズさんの記念碑(広島) Memorial to Barbara Reynolds in Hiroshima |
大きな川の底に沈んでしまっているので
引き上げるのはそう簡単ではないそうですが
全世界から募金を集めてこのプロジェクトを成し遂げようとしています。
そして、引き上げたヨットを修復して展示などのために保存するには
さらに莫大な金額がかかると予想されています。
現段階では、米国内での募金活動を広めるためのウェブサイトがあり、
そこにはこのヨットがどのような経緯を得てどのような活動をしてきたのか
なぜ、今これを引き上げようとしているのかなど詳しく書かれています。
URLはこちら👇
来月12月には、反核活動家のヘレン・ジャカードさんが米国より来日され
東京から福島、京都、広島、長崎などを講演などで廻られます。
その間、フェニックス・オブ・ヒロシマについても募金活動をされる予定です。
が、残念ながらまだ日本語でのサイトや募金の方法などが確立されておらず
これからの数週間で準備をする予定でいます。
とりあえずは、メンバーのブライアン・カウデン氏が制作された
フェニックス号とそしてその活動に関わった人物たちの動画に字幕をつけるところから始めました。
もちろん、英語でも可能な方は是非 HP をご覧になって
賛同いただけるようであれば募金をお願いします。
ページ上の "Donation" をクリックしていただければ PayPal サイトにリンクします。
フェニックス・オブ・ヒロシマ号 海に浮かんでいる最後の姿 The last photo of Phoenix of Hiroshima afloat |
--------------------------------------------
I've translated from time to time for Kyoto Museum for World Peace for more than eight years.Through a volunteer guide of the museum, Ms T, now I'm working with the project for salvaging a yacht which used to voyage around the world protesting against the nuke. And she is now deep sunken in the LA delta.
By peace activists including Ted Reynolds and Jessica Renshaw, who are children of late Barbara and Earle Reynolds, the project is underway to salvage and preserve this yacht as a peace symbol. Barbara was renowned activist and became honorable citizen of Hiroshima, Earle was the anthropologist who researched A-bomb victims in Hiroshima by order of the US government after the WWII.
Although it is not so easy to raise the boat as it rests on the bottom of a large river, they are dedicating themselves to achieve this project by raising a fund all over the world.
And to restore and preserve the sunken yacht, they have estimated that it requires a much larger amount.
There's a website for this fund raising where you can find details including what this yacht went through, how it was used for nuke protest, and why they are trying to raise it right now.
Here is the URL👇
If you share their commitment to preserving history and promoting peace, please consider donating today.
Thank you.
2017年11月13日月曜日
Gamelan Week!
というわけで。
天平祭に引き続き、秋のガムランウィークは続きました。
私も大好きな、万博公園内にある国立民族学博物館。
いつまでたっても古く感じない黒川紀章の建物の中
世界中のありとあらゆる民族の展示がいっぱい。
あまりにも楽しくて一日中いられるくらいなのに
実は展示されているのは、収蔵品のほんの数パーセントだそうです。
さすが国立。
定期的に学者先生方によるセミナーやら、世界の映画上映やら
まあ、楽しいったらないのですが、
ミュージアムショップもタマラなく楽しく
ヨガクラスで使っているガネーシャのお線香立てもここで買いました。
おっと、熱く語ってしまった。
で、このミンパク、
なんと今年で40周年になるそうで、その式典に御誘いいただきました。
ホールにガムランをセッティングし、
ジャワダンスのお二人はタカラヅカ のように階段から降りてくる演出で!
こちらも二日前に練習があり、初めて聞く曲を2曲やりました。
苦笑。
いやあね、他のメンバーはインドネシア留学組がほとんで
もう何年もやってこられている方ばかりだし
「合わせるだけ」なんだけれど、こちとら初めて聞いたりするもんで。
それでも、大丈夫だとみなされて演奏に参加させていただけることがありがたく。
式典ということで、この日は女性陣は
「サングル」と呼ばれる髷を結いました。
もちろんやったこともないし持ってないので、お借りして結ってもらいました。
まあ、こんな感じです👇
曲目は:
-Wilujeng
-Emplek Emplek Ketepu
-Puduastuti
-Udan Mas
演奏後は、パーティの立食ケータリングをご相伴させていただき
美味しいお料理とデザートをたらふくいただきまして
夕食分もしっかりお腹に収めて帰ってきました。
そして、
次は、同志社大学のSIED (Student Staff for Intercultural Events at Doshisha)に所属の
インドネシア留学生の方に呼ばれて行ってまいりました。
こちらは、文化を伝えるということでガムランだけでなく、
いろんな歌から衣装体験、村祭り体験とワヤンクリ(影絵芝居)までと
盛りだくさんでございました。
出演者のくせに、出番のないときは客席の後ろでこっそり見たりして
しっかり楽しんできました。いやあ、師匠は芸達者でおもろいです。
というわけで、あっという間の1週間、3回の出演。
天平祭に引き続き、秋のガムランウィークは続きました。
私も大好きな、万博公園内にある国立民族学博物館。
いつまでたっても古く感じない黒川紀章の建物の中
世界中のありとあらゆる民族の展示がいっぱい。
あまりにも楽しくて一日中いられるくらいなのに
実は展示されているのは、収蔵品のほんの数パーセントだそうです。
さすが国立。
定期的に学者先生方によるセミナーやら、世界の映画上映やら
まあ、楽しいったらないのですが、
ミュージアムショップもタマラなく楽しく
ヨガクラスで使っているガネーシャのお線香立てもここで買いました。
おっと、熱く語ってしまった。
で、このミンパク、
なんと今年で40周年になるそうで、その式典に御誘いいただきました。
ホールにガムランをセッティングし、
ジャワダンスのお二人はタカラヅカ のように階段から降りてくる演出で!
こちらも二日前に練習があり、初めて聞く曲を2曲やりました。
苦笑。
いやあね、他のメンバーはインドネシア留学組がほとんで
もう何年もやってこられている方ばかりだし
「合わせるだけ」なんだけれど、こちとら初めて聞いたりするもんで。
それでも、大丈夫だとみなされて演奏に参加させていただけることがありがたく。
式典ということで、この日は女性陣は
「サングル」と呼ばれる髷を結いました。
もちろんやったこともないし持ってないので、お借りして結ってもらいました。
まあ、こんな感じです👇
日本髪にも似てますね あまり違和感がないです |
曲目は:
-Wilujeng
-Emplek Emplek Ketepu
-Puduastuti
-Udan Mas
演奏後は、パーティの立食ケータリングをご相伴させていただき
美味しいお料理とデザートをたらふくいただきまして
夕食分もしっかりお腹に収めて帰ってきました。
そして、
次は、同志社大学のSIED (Student Staff for Intercultural Events at Doshisha)に所属の
インドネシア留学生の方に呼ばれて行ってまいりました。
こちらは、文化を伝えるということでガムランだけでなく、
いろんな歌から衣装体験、村祭り体験とワヤンクリ(影絵芝居)までと
盛りだくさんでございました。
出演者のくせに、出番のないときは客席の後ろでこっそり見たりして
しっかり楽しんできました。いやあ、師匠は芸達者でおもろいです。
こちらはライブ感満載でこれまた楽しい |
学生時代にやってて帰国後呼ばれたロケンローバンドの方は
諸事情により全くご無沙汰となっている中、
秋ということもあり、これまた文化祭的な楽しさがあって
いやあ、人生面白いですわ。
2017年11月5日日曜日
Mitsuki Umashi Festival
なんやかやで、本帰国してすでに3年。
つまり、ガムランを始めてそろそろ3年が経ち。
最初は、南国の雰囲気が嬉しくて続けていたのが
やってるうちにどんどん欲が出てきて、だんだんと練習も真面目になり
ぼちぼちと人前に出る機会をいただき始め
今週はガムラン週間となっておりまする。
というわけで、奈良の平城宮跡で開催された
天平祭「みつきうまし祭り」にガムランで出演してまいりました。
今回は、もしかしたら人生で初めて1000人席の前に立ったかもしれない。
(実際は、あまりに広い敷地の中だったので全く1000人席には見えなかったけど)
数ヶ月前に先生から「出ませんか」と言われ
一ヶ月前には、まだ曲の全貌を理解しておらず
2週間前くらいにやっと理解し始め
結局、1週間みっちり自主練習して仕上げた感じで(苦笑)。
当日は、ブラスバンドの他に四川の変面・龍舞、韓国のタルチュム(仮面劇)に獅子舞が行われたステージで(詳しくはお祭りのサイトでどうぞ)、仮面がテーマだそうで我々ジャワ部隊も仮面で。
Klono Topeng
Lambang Sari の2曲でした。
暑いくらいのいいお天気で
南に面したステージの上で顔面がジリジリやけましたワ
待ち時間や出演後は、会場を見て回ったり
屋台で食べたり、買い物したり、
兵庫から駆けつけてくれた友達と会ったり、
みんなで乗り合いドライブで大阪奈良を移動したり
いやあ、楽しい一日でした!
(以下、写真はいただいたものです)
つまり、ガムランを始めてそろそろ3年が経ち。
最初は、南国の雰囲気が嬉しくて続けていたのが
やってるうちにどんどん欲が出てきて、だんだんと練習も真面目になり
ぼちぼちと人前に出る機会をいただき始め
今週はガムラン週間となっておりまする。
というわけで、奈良の平城宮跡で開催された
天平祭「みつきうまし祭り」にガムランで出演してまいりました。
今回は、もしかしたら人生で初めて1000人席の前に立ったかもしれない。
(実際は、あまりに広い敷地の中だったので全く1000人席には見えなかったけど)
一ヶ月前には、まだ曲の全貌を理解しておらず
2週間前くらいにやっと理解し始め
結局、1週間みっちり自主練習して仕上げた感じで(苦笑)。
当日は、ブラスバンドの他に四川の変面・龍舞、韓国のタルチュム(仮面劇)に獅子舞が行われたステージで(詳しくはお祭りのサイトでどうぞ)、仮面がテーマだそうで我々ジャワ部隊も仮面で。
Klono Topeng
Lambang Sari の2曲でした。
暑いくらいのいいお天気で
南に面したステージの上で顔面がジリジリやけましたワ
待ち時間や出演後は、会場を見て回ったり
屋台で食べたり、買い物したり、
兵庫から駆けつけてくれた友達と会ったり、
みんなで乗り合いドライブで大阪奈良を移動したり
いやあ、楽しい一日でした!
(以下、写真はいただいたものです)
Klono Topeng 本来は男舞だけど今回は女性が踊られました! かっこよかった!! 曲調も激しく力強いのです |
ゆったりと優雅な女舞は Lambang Sari いつ見ても綺麗です |
太極殿をバックにパチリ |
2017年10月31日火曜日
Piano as my old friend
ハワイアンのバンドをやっている両親とその仲間たちのお手伝いで
年に何度か老人施設に慰問訪問をしています。
両親たちは、若い頃からの夢だった楽器を70を超えてから始め
やっと楽譜をちゃんと読めるようになり、複雑なコードも理解できるようになってきて。
もちろん、若い頃からやってる人とは比較にはならないものの
結構それなりにまあまあではないでしょうか。
そんな両親に子供の頃からピアノを習わせてもらい
どんなに先生が変わってもずっと大学生になっても習い続けていた私。
中学の途中から兄貴の影響でバンドもやるようになり
電子楽器やエレキギター、エフェクターなどにも詳しくなり。
大人になってなかなかバンドを組むなんて機会がないので
今ではすっかりガムランに夢中な感じではあるけれど
ほろりと両親から「手伝ってくれ」と言われたのがきっかけであります。
シンガポー在住の頃、さすがにアプライトピアノを送るのは嫌だったので
しばらくピアノなしの生活をしていたけれど
コンサートの帰りに絶対エレピを買おうと決心し
本帰国の時は売って帰ろうと思っていたKORGのエレピ。
日本で買うよりはるかに値段が高かったKORGのエレピ。
それが、今では老人バンドの花形楽器になってる。
ウクレレ数本とエレキベース、スネアだけのドラムにボーカル大勢というなんともアンバランスなバンドに、エレピ。
まあ、手伝うだけならと参加したが最後
すっかりレギュラーメンバーと化しておりますゆえ
自分でも楽しまないとと、三線で島唄やったりして茶化しております。
が、とうとうそのエレピの調子が悪くなり
こないだの慰問の時に音が出なくなってしまい
急遽、親がむかーし買ったYAMAHAの小さいキーボードでなんとかしのぐはめに。
考えてみれば、シンガポーに行かなければおそらく買わなかったであろうエレピ。
シンガポーに行かなければ、おそらく今もフルタイムで働いているであろう私。
人生は全く予想不可能なのです。
さて、日本で買えば結構安いエレピ、新しく買い換えるべきか修理に出すべきか。
後日談:何故か急にまた音が鳴り出した。電気技師である旦那曰く「プラグ拭いたら直る」 ほんまかいな
年に何度か老人施設に慰問訪問をしています。
両親たちは、若い頃からの夢だった楽器を70を超えてから始め
やっと楽譜をちゃんと読めるようになり、複雑なコードも理解できるようになってきて。
もちろん、若い頃からやってる人とは比較にはならないものの
結構それなりにまあまあではないでしょうか。
そんな両親に子供の頃からピアノを習わせてもらい
どんなに先生が変わってもずっと大学生になっても習い続けていた私。
中学の途中から兄貴の影響でバンドもやるようになり
電子楽器やエレキギター、エフェクターなどにも詳しくなり。
大人になってなかなかバンドを組むなんて機会がないので
今ではすっかりガムランに夢中な感じではあるけれど
ほろりと両親から「手伝ってくれ」と言われたのがきっかけであります。
シンガポー在住の頃、さすがにアプライトピアノを送るのは嫌だったので
しばらくピアノなしの生活をしていたけれど
コンサートの帰りに絶対エレピを買おうと決心し
本帰国の時は売って帰ろうと思っていたKORGのエレピ。
日本で買うよりはるかに値段が高かったKORGのエレピ。
それが、今では老人バンドの花形楽器になってる。
ウクレレ数本とエレキベース、スネアだけのドラムにボーカル大勢というなんともアンバランスなバンドに、エレピ。
まあ、手伝うだけならと参加したが最後
すっかりレギュラーメンバーと化しておりますゆえ
自分でも楽しまないとと、三線で島唄やったりして茶化しております。
が、とうとうそのエレピの調子が悪くなり
こないだの慰問の時に音が出なくなってしまい
急遽、親がむかーし買ったYAMAHAの小さいキーボードでなんとかしのぐはめに。
考えてみれば、シンガポーに行かなければおそらく買わなかったであろうエレピ。
シンガポーに行かなければ、おそらく今もフルタイムで働いているであろう私。
人生は全く予想不可能なのです。
さて、日本で買えば結構安いエレピ、新しく買い換えるべきか修理に出すべきか。
後日談:何故か急にまた音が鳴り出した。電気技師である旦那曰く「プラグ拭いたら直る」 ほんまかいな
2017年9月9日土曜日
Akatsuki no Tera
バンコクで結局行きそびれたワットアルン。
三島由紀夫の「暁の寺」だと紹介されていた。
すっかりバンコク大好き、タイ寺院大好きな感じの私、
早速、本屋で「豊饒の海」4部作を買ってきた。
昔から本を読みだすと止まらなくなり
夜中も昼間もずっと家にこもって睡眠不足になろうが読み続けるので、
あまり本を買わないようにしているのだけれど
今回はどうも気になって。
三島由紀夫、晩年はかなり仏教に傾倒していたそうで、
この小説も生まれ変わりの話で。
根底に流れている哲学的なものはヨガにも通じるところがあって。
唯識やら阿頼耶識やら・・・
思っていたよりはタイはそんなにべったりは出てこなかったけれど
いやあ、なかなか面白い。
そして、やっぱりずっと読みふけってしまいました。
ただ、読んでるだけじゃダメだと思い、
床でずっとストレッチしながら片手に本を持って読んでいたおかげで
逆に体が柔らかく動かしやすくなりました。笑
小説として読みながらも
自分の心や生き方やなんやかやに当てはめて見たりして
色々考えさせられた作品でした。
最後の「天人五衰」の後、三島は自殺したそうで。
それもまた色々感じながらの晩夏の読書でした。
三島由紀夫の「暁の寺」だと紹介されていた。
すっかりバンコク大好き、タイ寺院大好きな感じの私、
早速、本屋で「豊饒の海」4部作を買ってきた。
昔から本を読みだすと止まらなくなり
夜中も昼間もずっと家にこもって睡眠不足になろうが読み続けるので、
あまり本を買わないようにしているのだけれど
今回はどうも気になって。
三島由紀夫、晩年はかなり仏教に傾倒していたそうで、
この小説も生まれ変わりの話で。
根底に流れている哲学的なものはヨガにも通じるところがあって。
唯識やら阿頼耶識やら・・・
思っていたよりはタイはそんなにべったりは出てこなかったけれど
いやあ、なかなか面白い。
そして、やっぱりずっと読みふけってしまいました。
ただ、読んでるだけじゃダメだと思い、
床でずっとストレッチしながら片手に本を持って読んでいたおかげで
逆に体が柔らかく動かしやすくなりました。笑
小説として読みながらも
自分の心や生き方やなんやかやに当てはめて見たりして
色々考えさせられた作品でした。
最後の「天人五衰」の後、三島は自殺したそうで。
それもまた色々感じながらの晩夏の読書でした。
2017年9月5日火曜日
Niwa No Akari
今年も参加させてもらいました。
2週間ほど前に、これではやばいぞと思って真剣に練習し始めるという
エンジンかかるの遅い私でありましたが。
今年は、師匠の妹ご夫婦がジョグジャカルタから来日、
人形使い(ダラン)、歌手(シンデン)として素晴らしいパフォーマンスでした。
こんな本格的なジャワの伝統芸能が
関西で、目の前で、すっごい安い料金で見られる機会ってすごい。
(出演者なので私は無料で観られるー)
もっと精進せなあきませんけど。
2週間ほど前に、これではやばいぞと思って真剣に練習し始めるという
エンジンかかるの遅い私でありましたが。
リハ中 |
ワヤンクリ |
相楽園のお庭 |
村祭り |
ジャワ舞踊 |
今年は、師匠の妹ご夫婦がジョグジャカルタから来日、
人形使い(ダラン)、歌手(シンデン)として素晴らしいパフォーマンスでした。
こんな本格的なジャワの伝統芸能が
関西で、目の前で、すっごい安い料金で見られる機会ってすごい。
(出演者なので私は無料で観られるー)
もっと精進せなあきませんけど。
2017年9月2日土曜日
Vacation in Bangkok 4
さて、翌日の昼に宿を出て、荷物をゴロゴロ転がしながら
もう勝手がわかってきたモールの中を通り抜け、徒歩圏内の友A宅まで。
お昼ご飯は、近所のローカルなレストランへ。
こっちは誰もタイ語を話せないのに、お店の人も全く英語が通じない。
困ってたら、隣の席でちょうどランチタイムに来ていたきちんとした格好をした
OLさんたちが助け舟を出してくれた。
さすが!
で。
疲れ切っている旦那、もうあんまり観光したくないと言い出し、
町へ繰り出す。
なんかつまんないので、髪を切りに行く。
日本よりややカットは安かったけれど、
オススメされたトリートメントが異常に高くて結局いい値段払う羽目になる。
ま、いいか。
夜は、チャオプラヤ川沿いにある Asiatique へ。
この日は夕方から、熱帯の大雨が降った。
久しぶりの大雨。
雷。
強風。
豪雨。
傘なんて意味がない。
いい加減タイ料理にも少し飽きてきたので、イタリアンを夕食に。
そして、友Aのご主人が予約してくれてたカリプソでニューハーフショー。
1時間半ずっとノンストップで繰り広げられるショー、
途中でちょと疲れてしまいそうなくらいエネルギッシュでした。
(一回みたらもうええかな、と思ったけど)
そして翌日は、一度ワークショップに出たことのあるアメリカ人先生がやってる
ヨガスタジオへ。
暑い中、エアコンなしで窓からの風だけで1時間半。
汗びっしょりでした。
&やっぱり違う先生は違うこというね、今回も目からウロコ、勉強なります!
また日本に来た時はよろしくお願いします!!
引き続きタイ料理に飽きた私たち、
ランチはレバノン料理。
思いの外美味しいレストランでしたわ。
さて、とうとうこの旅も終わり。
最後に、友A宅のヘルパーさんが作ってくれたアジア料理をいただき
タクシーで空港へ向かったのでした。
夜中にバンコクを出た飛行機は、
夜明けを迎えた日本へと。
ああ、濃くて暑くて熱くて楽しくて嬉しくてな旅でした。
まだしばらく友Aはバンコクにいるらしいので
そのうちまた行くこととしよう。
それまでバイバイ
もう勝手がわかってきたモールの中を通り抜け、徒歩圏内の友A宅まで。
お昼ご飯は、近所のローカルなレストランへ。
こっちは誰もタイ語を話せないのに、お店の人も全く英語が通じない。
困ってたら、隣の席でちょうどランチタイムに来ていたきちんとした格好をした
OLさんたちが助け舟を出してくれた。
さすが!
豚肉とカイラン の炒め物?を頼んでいた旦那 |
今日のランチセット:フィッシュボールのカレー 黒胡椒がきいてて美味しかった |
それにしても、だ。
昔、プーケットに行った時にローカルホテルのビュッフェに連れて行かれた時は
旦那ともども辛過ぎて冷たい飲み物で流し込むように食べていた記憶がある。
が、今回、全く平気である。
これもまたシンガポー生活の影響にちがいない。
辛いの大好き、スパイス大好き、長粒米大好き。
で。
疲れ切っている旦那、もうあんまり観光したくないと言い出し、
町へ繰り出す。
バンコク市内はいつも渋滞 |
なんかつまんないので、髪を切りに行く。
日本よりややカットは安かったけれど、
オススメされたトリートメントが異常に高くて結局いい値段払う羽目になる。
ま、いいか。
可愛い❤️ |
夜は、チャオプラヤ川沿いにある Asiatique へ。
この日は夕方から、熱帯の大雨が降った。
久しぶりの大雨。
雷。
強風。
豪雨。
傘なんて意味がない。
いい加減タイ料理にも少し飽きてきたので、イタリアンを夕食に。
めっちゃ綺麗でダンスうまい人もいれば エッ、ちょっとないんちゃう?という人もいる |
1時間半ずっとノンストップで繰り広げられるショー、
途中でちょと疲れてしまいそうなくらいエネルギッシュでした。
(一回みたらもうええかな、と思ったけど)
そして翌日は、一度ワークショップに出たことのあるアメリカ人先生がやってる
ヨガスタジオへ。
暑い中、エアコンなしで窓からの風だけで1時間半。
汗びっしょりでした。
&やっぱり違う先生は違うこというね、今回も目からウロコ、勉強なります!
また日本に来た時はよろしくお願いします!!
ランチはレバノン料理。
思いの外美味しいレストランでしたわ。
さて、とうとうこの旅も終わり。
最後に、友A宅のヘルパーさんが作ってくれたアジア料理をいただき
タクシーで空港へ向かったのでした。
ミャンマーの少数民族だというヘルパーさん 美味しいご飯でございました |
夜中にバンコクを出た飛行機は、
夜明けを迎えた日本へと。
何回見ても、飛行機からの朝日って綺麗だよね |
ああ、濃くて暑くて熱くて楽しくて嬉しくてな旅でした。
まだしばらく友Aはバンコクにいるらしいので
そのうちまた行くこととしよう。
それまでバイバイ
2017年8月31日木曜日
Vacation in Bangkok 3
さて、二日間の熱帯での観光にすっかり疲れ切ってしまった私たちでありました。
翌日は、電車で楽に行けるところにしようということで
ジム・トンプソン・デーに。
朝から宿の朝食をゆっくりと食べ、
(結構、洋食、中華、タイ料理とバラエティあって美味しかったし、日本食っぽいものも置いてあったのだけれど、なぜか味噌汁ではなくお吸い物に納豆やワカメなんかが添えられていたりしてちょっとなんだか???
あ、そうそう。目の前で作ってくれるオムレツを毎日頼んだのだけれど、1日目は普通に具材を全部入れにして作ってもらい美味しかったのだけど、なぜか2日目は全部入れにしたらグリーンチリが入っててやたら辛くてびっくりしたので、3日目はチリ抜いてって頼んだらそんなものはないと言われた。うっそーん。これぞ、タイ!)
駅までダラダラ歩いて(3日目ともなるともう慣れたものである)
切符を買って(これも3日目なのでささっと買えるように・・・はならない。小銭がないと窓口に行かなくてはならなくてめんどくさい)
数駅乗って、ここでもGoogle Map さんにお伺いをたてながら
サインを見つけてテクテク歩く。
道の奥にありました。ジム・トンプソンの家。
入り口のチケットブースで大人二枚とお願いすると
「English, or French?」と聞かれる。
なんやわからんけど、フレンチではないような気がするのでイングリッシュと答えたら
英語のリーフレットを渡された。
で、あっちへ行けというのでカウンターまで行くと
どうもガイドツアーでしか見学できないようで、
集合時間を書いた紙をもらいしばらく売店で時間を潰す。
・・・と、
日本人らしき人たちが、日本語で書かれたリーフレットを持って
日本語ガイドらしき人たちとともに建物へ入って行くではないか!
旦那と二人で顔を見合わせる。
「Japanese の選択肢はなかったよね???」
いやあ、日本人とは全く思われてなかったチューことですな。
ま、いいです。英語で。
ガイドツアーに参加してみて初めてわかったのだけれど
昔からジム・トンプソンのブランドのことは知っていて、製品も少なからず持っていて
キャメロン・ハイランドで行方不明になったことも知っていたのに
彼がアメリカ人の建築家だったなんて!!
なぜか勝手にイギリス人だと思い込んでた。
帰りはカートで大通りまで乗せてもらい、暑い中歩くこともなくシュシューと。
そして、また反対方向の電車に乗り、アウトレットまで。
まあ、アウトレットがあるくらいなんだからそうなんだろうけれど
すごいローカルな場所で、道はガタガタ、なんとも言えない雰囲気・・・
だけど、ジムトンプソンの袋を持った人たちが歩いてくるので間違いないね!
お腹が空いたのでここいらでランチにしました。
そうそう、あまりに家飯すぎたので写真を全く撮っていないのだけれど
旦那はやたらガパオライスを食べ続けておりました。
(知らんかったけど、ガパオってホーリーバジル(トゥルシ)のことだったのね。
トゥルシのお茶はよく飲んでるけど、同じものとは知りませんで。
やっぱしベランダで育てたいな、トゥルシとパクチーとニーム。)
でかいビーズクッションが安かったもんで、
担いで飛行機乗せて帰ろう!と一旦は言ったものの
ものすごく悩んだ挙句やめました。。。
色々買い込んでしまい、また部屋に戻ってシャワーしてぼおおとしてたらもう夕方。
昨日あった友Aのご主人そしてAとともに近所のタイ料理屋さんでディナー!
一応、雨季ということで帰る頃には雨模様。
デザートでも行こうかと言ったものの、もう帰りましょうと解散。
だって明日からそちらのおうちにお世話になりますしー。
というわけでもう3日。
翌日は、電車で楽に行けるところにしようということで
ジム・トンプソン・デーに。
朝から宿の朝食をゆっくりと食べ、
(結構、洋食、中華、タイ料理とバラエティあって美味しかったし、日本食っぽいものも置いてあったのだけれど、なぜか味噌汁ではなくお吸い物に納豆やワカメなんかが添えられていたりしてちょっとなんだか???
あ、そうそう。目の前で作ってくれるオムレツを毎日頼んだのだけれど、1日目は普通に具材を全部入れにして作ってもらい美味しかったのだけど、なぜか2日目は全部入れにしたらグリーンチリが入っててやたら辛くてびっくりしたので、3日目はチリ抜いてって頼んだらそんなものはないと言われた。うっそーん。これぞ、タイ!)
駅までダラダラ歩いて(3日目ともなるともう慣れたものである)
切符を買って(これも3日目なのでささっと買えるように・・・はならない。小銭がないと窓口に行かなくてはならなくてめんどくさい)
数駅乗って、ここでもGoogle Map さんにお伺いをたてながら
サインを見つけてテクテク歩く。
道の奥にありました。ジム・トンプソンの家。
入り口のチケットブースで大人二枚とお願いすると
「English, or French?」と聞かれる。
なんやわからんけど、フレンチではないような気がするのでイングリッシュと答えたら
英語のリーフレットを渡された。
で、あっちへ行けというのでカウンターまで行くと
どうもガイドツアーでしか見学できないようで、
集合時間を書いた紙をもらいしばらく売店で時間を潰す。
機を織るデモしてるやたら綺麗なお姉さん |
・・・と、
日本人らしき人たちが、日本語で書かれたリーフレットを持って
日本語ガイドらしき人たちとともに建物へ入って行くではないか!
旦那と二人で顔を見合わせる。
「Japanese の選択肢はなかったよね???」
いやあ、日本人とは全く思われてなかったチューことですな。
ま、いいです。英語で。
ベンガラの壁が綺麗でした |
ガイドツアーに参加してみて初めてわかったのだけれど
昔からジム・トンプソンのブランドのことは知っていて、製品も少なからず持っていて
キャメロン・ハイランドで行方不明になったことも知っていたのに
彼がアメリカ人の建築家だったなんて!!
なぜか勝手にイギリス人だと思い込んでた。
帰りはカートで大通りまで乗せてもらい、暑い中歩くこともなくシュシューと。
そして、また反対方向の電車に乗り、アウトレットまで。
まあ、アウトレットがあるくらいなんだからそうなんだろうけれど
すごいローカルな場所で、道はガタガタ、なんとも言えない雰囲気・・・
だけど、ジムトンプソンの袋を持った人たちが歩いてくるので間違いないね!
お腹が空いたのでここいらでランチにしました。
そうそう、あまりに家飯すぎたので写真を全く撮っていないのだけれど
旦那はやたらガパオライスを食べ続けておりました。
(知らんかったけど、ガパオってホーリーバジル(トゥルシ)のことだったのね。
トゥルシのお茶はよく飲んでるけど、同じものとは知りませんで。
やっぱしベランダで育てたいな、トゥルシとパクチーとニーム。)
マンゴーライムスムージー!うまし! |
パイナップルライス!うまし! |
でかいビーズクッションが安かったもんで、
担いで飛行機乗せて帰ろう!と一旦は言ったものの
ものすごく悩んだ挙句やめました。。。
色々買い込んでしまい、また部屋に戻ってシャワーしてぼおおとしてたらもう夕方。
昨日あった友Aのご主人そしてAとともに近所のタイ料理屋さんでディナー!
すみません、顔はカットしました・・・ |
一応、雨季ということで帰る頃には雨模様。
デザートでも行こうかと言ったものの、もう帰りましょうと解散。
だって明日からそちらのおうちにお世話になりますしー。
というわけでもう3日。
2017年8月30日水曜日
Vacation in Bangkok 2
さてさて。
バンコク2日目はちゃんと観光しましょう。
まずは、王道のワットポー。
宿のコンシェルジュに「トゥクトゥクがいいのかしらん」と聞いたら
今日は道がそんなに混んでないからタクシーがいいよ、と
勝手にタクシーを準備してくれたのでそのまま乗ったのでした。
彼は「帰りはボートに乗るといいよ」とも教えてくれた。
さて、まあ確かに渋滞ではないけれど、交通量は十分多い中、
タクシーの運転の荒いこと荒いこと。
酔いそうだったけど、とにかく目的地にはちゃんと着いたので
(ほんとGoogle Map って素晴らしい)
釣りはいらねえよ、と降りたら急にニッコリと微笑みの国。
さて、ワットポーです。
どこに向かっていいのかよくわからずグルグル回った挙句
逆の方角にありましたわ、Reclining Buddha。
やっと寺院内の地図が載ったリーフレットを入手。
無料のお水ももらえました。
南国暮らしが長いので、水とタオルはいつも必ず持ってる。
バッグの中が水だらけになってしまい重いったらない。
(文句言うなって)
昨年、プミポン国王が亡くなられたので
今年の10月に葬儀が行われる予定だそうですが
そのせいなのか、あちこち工事中(修復中)で見られない箇所も多かったです。
国民は未だに喪中なので、派手な服装をしないほうがいいと言われていたので
派手な服しか持っていない私、極力地味目のものを持ってきていたのでした。
で、出発前に去年バンコクに来た友達にオススメされてたワットポー内のタイマッサージを受ける。痛いけど、気持ちいい。何よりエアコン効いていて涼しい。(違)
さて、ワットポーから王宮は目の前で。
が、異常に厳重な警備体制。
そして王宮周りも大規模な修復中の模様。
バッグの中身を調べたりするセキュリティゲートの前で英語で放送が・・・
「中に入りたい人はパスポートを提示してください」その後なんやら中国語。
ええええええ!そんなん持って来てないし!
困ってたら、軍服を着たおじさまが「何してるんだ、早く行きなさい」と言う。
「パスポートないけど他のIDでもいいですか??」と聞くと、おじさまニヤリ。
「いらないよ。行きなさい」
ほとんど素通りであった。
確かに日本語では放送してないよね。
日本人はスルーなのかね。
いやーありがたい。これまで日本人が海外で真面目にしてきたおかげだわ。
あとで調べてわかったのだけれど、少し前までは王宮には入れなかったらしい。
ラッキーというか、調査不足というか・・・。
さて平日のはずなのにやたら大勢の人が王宮に向かっている様子で
ぐるっと大回りをして意外と遠い入り口まで歩く。
旦那ったら帽子も日焼け止めもしてこなかったから
私の可愛らしい日傘を二人で使わなくてはならなくて
奴はTシャツが汗びっしょり。
・・・と、
今度は数えきれないほどの黒い服を着た人たちが道を横切っていくではないか。
警官だか警備だかに流れを止められ、暑いのに数十分間も交差点の向こうに渡れず。
これは弔問の国民なのだろうか。
にしても、なんで今日?
やっと喪服集団が通り過ぎたと思ったら、
今度はせき止められていた観光客が一気に王宮の狭い入り口に向かったために
またえらい人の渋滞で。
はあ、大変だ。
なぜかここは中国人観光客が異常に多い。
ワットポーにはあんまりいなかったのにな・・・
王宮内には有名なエメラルド仏寺院がある。
それにしても、インド、ヒンズーの神様が仏教の仏様と一緒になって
金ピカのタイ風に彩られてなんとまあ面白い。
インドからミャンマーを超えてタイに伝わったのがなーんとなくわかる。
いやあ、島国日本にいるとどうもなかなか感じられないのだけれど
アジアは大陸で繋がっているんだなあと思わずにいられない。
欧米列強に追いつけ追い越せで発展してきた歴史があるとはいえ
日本が一体どこに存在し、日本文化がどこから来たのかを
子供の頃にもっと学校で教わりたかったなと、最近とみに思います。
幼稚園の同級生に、大学時代のアルバイト先にもインドネシア人がいたけれど
その頃の私にとって東南アジアは未知すぎて
ちゃんと交流できなかったなあと今になってもったいなく思う。
なぜかアメリカやヨーロッパだけを見ていたなあと。
そしてここでもまた、大規模な修復と喪服集団に囲まれたのでした。
チケットについていたお妃様のコレクションを見て
ミュージアムショップでお買い物をしてしまって
ずっとやたら声のでかい中国人観光客に囲まれたせいで疲れた私たちは
川の向こうのワットアルンに行くのを諦めて
旦那の拒否にあい船着き場で山盛り売られていたドリアンも諦め
電車の駅までチャオプラヤ川のボートに乗ることにした。
ボートの中では、オレンジの袈裟を着たお坊様が隣におられて
バンコクにいる!という感じがしてなんだか嬉しかった。
宿に帰る前に駅前のモールやデパートを見ていこうということになり
うろうろして、タイの文字は読めないけどなんでも売ってるねーと感心し
食料品売り場でカシューナッツを物色していたその時である。
見たことのある人が隣でナッツを見ている・・・・。
なんで知り合いがここにいるのか?
この人誰だったっけ?
・・・・・。
はいはい、この人以外に知り合いがいるわけない、友Aのご主人でした。
なんで?
まだ夕方早い時間なのに、なんでこんなとこで一人でうろうろしてんの?
「今日は王妃様のお誕生日で休日やねん」
ははあああ、それでか!
やっと、街の様子がおかしいのと黒装束集団の理由がわかった。
ここでも事前調査不足が・・・
「そいでは、また明日の夜に」と別れたのでした。
ほんま、どこで誰に会うかわからんもんです。
それにしても、この日はあまりに暑かったので本当に疲れました。
おかげでまた、家飲み・・・。
第二日目終了。
バンコク2日目はちゃんと観光しましょう。
まずは、王道のワットポー。
宿のコンシェルジュに「トゥクトゥクがいいのかしらん」と聞いたら
今日は道がそんなに混んでないからタクシーがいいよ、と
勝手にタクシーを準備してくれたのでそのまま乗ったのでした。
彼は「帰りはボートに乗るといいよ」とも教えてくれた。
さて、まあ確かに渋滞ではないけれど、交通量は十分多い中、
タクシーの運転の荒いこと荒いこと。
酔いそうだったけど、とにかく目的地にはちゃんと着いたので
(ほんとGoogle Map って素晴らしい)
釣りはいらねえよ、と降りたら急にニッコリと微笑みの国。
さて、ワットポーです。
どこに向かっていいのかよくわからずグルグル回った挙句
逆の方角にありましたわ、Reclining Buddha。
やっと寺院内の地図が載ったリーフレットを入手。
無料のお水ももらえました。
南国暮らしが長いので、水とタオルはいつも必ず持ってる。
バッグの中が水だらけになってしまい重いったらない。
(文句言うなって)
キンキラの涅槃像 |
パゴタのタイルが素晴らしい |
タイの仏像ってシュッとしてて好きです |
昨年、プミポン国王が亡くなられたので
今年の10月に葬儀が行われる予定だそうですが
そのせいなのか、あちこち工事中(修復中)で見られない箇所も多かったです。
国民は未だに喪中なので、派手な服装をしないほうがいいと言われていたので
派手な服しか持っていない私、極力地味目のものを持ってきていたのでした。
で、出発前に去年バンコクに来た友達にオススメされてたワットポー内のタイマッサージを受ける。痛いけど、気持ちいい。何よりエアコン効いていて涼しい。(違)
マッサージの後はこんなドリンクくれました |
さて、ワットポーから王宮は目の前で。
が、異常に厳重な警備体制。
そして王宮周りも大規模な修復中の模様。
バッグの中身を調べたりするセキュリティゲートの前で英語で放送が・・・
「中に入りたい人はパスポートを提示してください」その後なんやら中国語。
ええええええ!そんなん持って来てないし!
困ってたら、軍服を着たおじさまが「何してるんだ、早く行きなさい」と言う。
「パスポートないけど他のIDでもいいですか??」と聞くと、おじさまニヤリ。
「いらないよ。行きなさい」
ほとんど素通りであった。
確かに日本語では放送してないよね。
日本人はスルーなのかね。
いやーありがたい。これまで日本人が海外で真面目にしてきたおかげだわ。
あとで調べてわかったのだけれど、少し前までは王宮には入れなかったらしい。
ラッキーというか、調査不足というか・・・。
さて平日のはずなのにやたら大勢の人が王宮に向かっている様子で
ぐるっと大回りをして意外と遠い入り口まで歩く。
旦那ったら帽子も日焼け止めもしてこなかったから
私の可愛らしい日傘を二人で使わなくてはならなくて
奴はTシャツが汗びっしょり。
・・・と、
今度は数えきれないほどの黒い服を着た人たちが道を横切っていくではないか。
警官だか警備だかに流れを止められ、暑いのに数十分間も交差点の向こうに渡れず。
これは弔問の国民なのだろうか。
にしても、なんで今日?
やっと喪服集団が通り過ぎたと思ったら、
今度はせき止められていた観光客が一気に王宮の狭い入り口に向かったために
またえらい人の渋滞で。
はあ、大変だ。
なぜかここは中国人観光客が異常に多い。
ワットポーにはあんまりいなかったのにな・・・
王宮内には有名なエメラルド仏寺院がある。
キンナリ 半人半鳥の精霊 |
金ピカのタイ風に彩られてなんとまあ面白い。
インドからミャンマーを超えてタイに伝わったのがなーんとなくわかる。
いやあ、島国日本にいるとどうもなかなか感じられないのだけれど
アジアは大陸で繋がっているんだなあと思わずにいられない。
欧米列強に追いつけ追い越せで発展してきた歴史があるとはいえ
日本が一体どこに存在し、日本文化がどこから来たのかを
子供の頃にもっと学校で教わりたかったなと、最近とみに思います。
幼稚園の同級生に、大学時代のアルバイト先にもインドネシア人がいたけれど
その頃の私にとって東南アジアは未知すぎて
ちゃんと交流できなかったなあと今になってもったいなく思う。
なぜかアメリカやヨーロッパだけを見ていたなあと。
ナーガとガルーダ |
王様がおられる建物 |
そしてここでもまた、大規模な修復と喪服集団に囲まれたのでした。
チケットについていたお妃様のコレクションを見て
ミュージアムショップでお買い物をしてしまって
ずっとやたら声のでかい中国人観光客に囲まれたせいで疲れた私たちは
川の向こうのワットアルンに行くのを諦めて
旦那の拒否にあい船着き場で山盛り売られていたドリアンも諦め
電車の駅までチャオプラヤ川のボートに乗ることにした。
いやあすごい色ですね |
ボートの中では、オレンジの袈裟を着たお坊様が隣におられて
バンコクにいる!という感じがしてなんだか嬉しかった。
宿に帰る前に駅前のモールやデパートを見ていこうということになり
うろうろして、タイの文字は読めないけどなんでも売ってるねーと感心し
食料品売り場でカシューナッツを物色していたその時である。
見たことのある人が隣でナッツを見ている・・・・。
なんで知り合いがここにいるのか?
この人誰だったっけ?
・・・・・。
はいはい、この人以外に知り合いがいるわけない、友Aのご主人でした。
なんで?
まだ夕方早い時間なのに、なんでこんなとこで一人でうろうろしてんの?
「今日は王妃様のお誕生日で休日やねん」
ははあああ、それでか!
やっと、街の様子がおかしいのと黒装束集団の理由がわかった。
ここでも事前調査不足が・・・
「そいでは、また明日の夜に」と別れたのでした。
ほんま、どこで誰に会うかわからんもんです。
それにしても、この日はあまりに暑かったので本当に疲れました。
おかげでまた、家飲み・・・。
第二日目終了。
2017年8月23日水曜日
Vacation in Bangkok 1
なので、今年の夏休みはバンコクへ!
旦那の休みも1週間以上取れたのでゆっくり滞在することに。
最初の数日はサービスアパートメントで過ごし
後半は友A宅へお邪魔することになった。
さて、タイといえば、プーケットしか行ったことがないという。。。
3回のうち最初の時にトランジットをしたのは確かにバンコクでしたけど。
友Aに会えるのも楽しみだし、初のバンコクも楽しみ。
中国語も堪能なシンガポーが長かった友Aは
言葉が通じない国はストレスだ!
と言ってるけど
シンガポーがあまり好きになれなくてバンコクばかり一人旅をしていた友達もいたし
それなりに住みやすいはずなんじゃないかなあと。
さて、夜中に大阪を出て6時間でバンコク。
シンガポー往復に慣れてしまうと6時間なんてあっという間!
時差のせいで到着は早朝だけど、エアコン効きすぎてちょっと寒いけど
ベンチで寝てたらすぐ夜明け。
初日は、事前に申し込んでおいたツアーでアユタヤまで。
午後まで宿にCheck-inできないからね。
子連れの家族と2組で出発、車の中で爆睡の私であった。
「ツキマシター」日本語ペラペラのタイ人ガイドさんでした。
きた!
遺跡!
数年前の洪水で だいぶ浸かってしまったらしい |
遺跡になってもまだ信仰の対象 |
有名な木に埋もれた仏様 |
お約束の象乗り! |
かわいいなあ ずっと見ていたかった・・・ |
涅槃像も見に行った |
ランチバイキングを途中のホテルで食べる。
グリーンカレーがうまし。
ココナツミルクかけたかき氷がうまし。
タイ語でなんていうのかな?チェンドルでは絶対にないな・・・
そして、チェックインできる午後2時少し前に宿に到着。
さすがに熱いぜ、タイ!
朝の4時から動いてるからいい加減疲れるんだよね。
(爆睡してたけど)
・・・というわけで、スーパーでフルーツやら買ってきて
プールでダラダラすることにした。
これぞ正しいバカンスである。
ところで
やっぱりタイだ
フリーズドライのドリアンが山積みで売ってるではないか!!!
これは絶対に買って帰ろう
ただし、タイでは昼間にお酒が買えないので
夕方5時まで待ってから、再度スーパーへ行って
ビールとか何や彼や仕入れてきた。
宿のお部屋はやたらLDが広くて
ダイニングテーブルもキッチンもしっかりあるので
今日は宿でいただきまーす。プシュ
(まるで家飲み)
1日目終了。
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