2020年11月30日月曜日

沖縄の天国


GoToで沖縄に、行ってきました。
せっかくだし、ハワイにも行けないし、ハレクラニに4泊することに。
建ってまだ日の浅いホテルなので、豪華な上にかなり綺麗。


コスパのいいコンパクトなレンタカーでハレクラニの門をくぐるのは
ちょっと気が引けたけど
かなりの枚数のGotoクーポン券にをいただけることになり
「なかなか珍しい枚数です笑」と言われたけど
ホテルの雰囲気はさすがでした。


サンセットウィングの解放的なロビー

ウェルカムドリンク & サニタイザー


【Orchid Pool】
ハレクラニといえばこのプール


ロビーからのパノラマ


お部屋〜 日本仕様にはなってるけれど
廊下の幅が広め
クローゼットもかなり広くて使いやすかった


ベッドルームとバスルームが扉でつながってるバージョン
Wシンクで奥にシャワールームも
Nespresso にハーブティ、お水が用意されてます
(赤い蓋のは私の水筒・・)
廊下の右に両開きの扉がクローゼット



4泊したのでノベルティも4ついただきました
どれも沖縄っぽい
(クリップ4つでもよかったんだけどw)




11月とはいえ、今年はなぜかやたらと暖かくプールも開いてたので
冷たいながらもラッシュガードを着て泳ぎました。
が、旦那含めてほとんどの方が温かいジャグジーに浸かったまんまでしたけど笑
ちなみに室内プールは、子どもたちでいっぱいでとても入る気になれず。


【Ocean Terrace Pool】
ここは子どもは入れません
静かでーす



昼間は、ドライブして古宇利島やら山原に行ったり
ちゅら海水族館(何回目やねん)行ったり
クーポン使ってスパ行ったり、のんびりと楽しみました。
やちむんも少し買い足したり。


古宇利島への橋


【スパハレクラニ】
トリートメントを受けると
温泉やサウナにも入れます
旦那はお部屋でお留守番でした
温泉サイコー



ホテルの朝食ビュッフェは中止されてたけど、食事はどれも大満足。

【SHIROUX にて】
朝食のエッグベネディクト

アボカドシュリンプのオープンサンド


【House Without A Key】 にて
マカダミア・パンケーキ
これは食べきれなかった・・
旦那の方はコンチネンタルBFだったかな?



【青碧蒼】にて
和朝食(旦那はこれが気に入ってリピート)


【Kingdom】にて
最後の夜は

クーポン使って豪華ディナーも


シーフードプラター
美味しかったです


ブラジルのワイン
初めていただきましたがおいしかったです


で、島唄居酒屋のお料理も、その辺で食べたソーキそばやバーガーも、
あぐーしゃぶしゃぶも、オリオンビールも泡盛も サイコーでした。
ああ、楽しかった。

また、いこーっと。


サンセットウィングだけに
夕陽が綺麗でした





<追記>
ハレクラニ沖縄、あまり評価の良くない口コミが多いようです。
確かに価格がかなりお高い割には、スタッフの動きや対応がややぎこちない感じもしました。そこは南国、沖縄だしな、と思えば私は気になりませんでした。

それよりも、隣室のゲストが毎日変わったのですが、
Gotoで奮発してきたのか(うちもですけどね)、毎晩、若い人たちがはしゃいで騒がしかったのがとても残念。大きな音で音楽を鳴らしたり、コンビニで買ってきたらしいお弁当食べながら、バルコニーで酒盛りして騒いだり、朝は寝起きの半裸で出てきたり。。。まあ、これはホテル側の責任ではないのかも。隣のバルコニーが見えない仕様なら良かったのでしょうけど。最終日だけは隣人ゲストが外国人で、バルコニーで目が合い「Hello♪」と挨拶しただけでとても静かでしたが。

海外に住んでいた頃は、日本人はお行儀が良い人が多いと感じていたのですが、帰国してみればそんなこともないよね、と思い出しました。残念!




2020年11月9日月曜日

関西の奥座敷




夏のハワイ旅行も行けず、年末のシンガポール旅行もダメになり・・
せっかくのGOtoなので近場で温泉でも行こうと同級生たちに誘われ、
初の有馬グランドホテルに。


去年、有馬に
初めて車で来てみて、こんなに近いんだ!とびっくり。
近所の銭湯でもいく感覚で行けちゃう。(高速代はかかるけどw)


せっかくなのでと、友達がいいお部屋をとっといてくれました。
眺めも最高、新しくて綺麗で広くて。
ベッドもふかふか〜


アクアテラスという温水プール&サウナもエンジョイしまくり
地下と最上階のお風呂を何度も入りまくり
マッサージチェアにも座って満喫!


夕食は中華のオーダーバイキング
麻婆豆腐と坦々麺がミョーに美味しかったのは有馬の山椒が美味しいから?


いやあ、結構楽しんじゃいました。
あまりにも良かったので、今度は旦那と一緒に行くことにします。



眺めが素敵








次の日は瑞宝寺公園までお散歩
燃えるような紅葉!




2020年10月31日土曜日

マーシャル諸島のお話 Vol.2

 ブライアンのお話の続き

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僕も君もみんな水の世界に住んでいる。地球の4分の3は水で覆われている。最初の生命も海から生まれ出た。宇宙からみたら僕らは美しく青い惑星だ。水がなければ生命もない、海が僕らの生物圏の環境をコントロールしている。大気もまるで玉ねぎの皮のように僕らを守ってくれている。


君と僕が出会って、世界をまたいでeメールを送り合っているという事実はなんてすごいことだろう。僕らが今、この場所にたどり着くまでに気の遠くなるような歳月がかかっている。


そんな昔でもない時にこんな概念が現れた。
この宇宙が始まったのは137億年前くらいだろうと。そしてこれをふまえて人間が出現した時間を考えれば、現在から未来へと進む時間の終わりなんて極小さいモノに過ぎない。


僕はこの概念は間違っていると思う。だって、そんな考えでいると自分がちっぽけでどうでもいいと感じてしまうし、そんな時は人は「何したって変わらない」と自己中心的になってしまうものだから。



本当は、僕らは最初からずっとここにいる。そして137億年もの間ずっとくじが当り続けているかのように生命は続いてきた。全ての要素が星の中で作られたようにとんでもない繋がった出来事を通して、この宇宙が単純な元素の水素からどのように始まり現在の素晴らしい構造を作り上げてきたのだろう。


十分な要素があって銀河が作られて、そしてこうした銀河のうちのひとつの正しい場所に、中心の混乱から十分に遠いけれど遠過ぎず、そしてちょうど良い量の要素があって・・・。とるに足らないけど安定した恒星が生まれ、周りにその惑星も生まれる。その恒星からちょうど良い距離で僕らが生命存続可能と呼ぶ岩の惑星が作られた。


この岩の惑星はすごく特別だった。熱いコアを持ちその表面は常に動いている。これを地殻構造プレート運動という。この岩の惑星は僕らが月と呼ぶ大きな衛星を従え、この月のおかげで僕らの世界は安定して回り続け生命が出現することになった。この表面の地殻運動はまた、大気を作り出した。生命存続可能な場所にあるおかげで水は凍らず地表の4分の3を覆った。


単純な生命が生まれ、条件が揃ってより複雑な生命へと進化した。地球には、ほとんどカチコチに凍って生命が絶滅の寸前まで行った時代もあった。生命は違う形で再生する。ほとんどの生命が消滅する火山活動の激しい時代もあった。生命はまた再生した。6000万年前、地球に大きな物体がぶつかり生命のほとんどを奪い去ったが、この時僕らの種という次の展開へと進んだ。確率の法則をずっとずっと超えてこうしたことが起きたと考えてみたら、ただただ驚きだ。


複雑な生命はこの世の宝石だ。準星でもなく、赤色巨星でもなく、ブラックホールでもない。僕らは他の複雑な生命を知らない。どこかにいるかもしれないが、まだ僕らは見つけられていないし接触したこともない。


実際の話、生命が存在しこの地球に僕らが生まれ存在していることは完全すぎるんだ。つまり、空からエネルギーが降り注ぎ食べ物が土から育つ。この世界に生きることはとても簡単だということを僕らはいつも忘れていて、遅過ぎてしまう前に見つめ直す必要がある。


本当だよ、ここに存在することはとても簡単だ。人間はずっと新しい iPhoneや自動車や超高層ビルや、いろんな政治や宗教を夢見たり、空をみて人間が宇宙コロニーに生物圏を移動させるとか人間が絶滅すると夢見るほどクレイジーでいられる。もし僕らが絶滅したらもう二度と永久に存在することはできない。これこそが僕らが気付くべきことで、僕らは団結して僕らの生物圏を守り浄化する必要がある。だって、僕らにあるのはこれが全てで、最後までできるだけ守り続けなきゃならない。


こうしたことを全部頭に入れ解いて欲しい。僕らは水の世界だ。地球じゃなくて水球と呼んだ方がいいかもしれない。水の一番大きな部分はもちろん太平洋で、だからこそこの最大の水の中心が僕らの中心で、それがマーシャル諸島なんだ。悲しいかな、これに気づいている人はとても少ないし、マーシャル諸島がどこにあるか知らない人さえいる。マーシャル諸島の人々は彼ら自身をこの中心の管理人だと考えている。マーシャル諸島は、陸と水と空が一緒になる場所。このどれかを乱すと災害に繋がる。そのことを長老たちは知っているし、過去、現在、未来の生活も理解している。彼らの考え方では、過去がなければ未来もない。つまり過去の知恵だけが未来の計画への希望なんだ。


ー ブライアン




2020年10月30日金曜日

マーシャル諸島のお話 Vol.1

もう3年も前の話ではあるけれど
核兵器禁止条約が発効決定したので
前からずっと温めてきたお話、
米国の知人ブライアンがマーシャル諸島で体験した話をシェアしたいと思います。

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やあ、返事が遅くなったね。マーシャル諸島から帰ってきたよ。


今回の旅は、体力的にも感情的にも今までで最もキツイものだったと言わざるを得ない。人生ではしばしば起こるけれど、予め計画を立て予想していても突然何かが起こって何もかもが変わってしまう。今回の旅はそんな旅だったが、大惨事かのように見えていた変化が起こった時には、僕がいた場所の悲劇、そして魔法のような体験としか言いようのないものへの別の道が開いた。それは、マーシャル諸島とエニウェトクの人々の温かさと受容であり、僕の旅を特別なものにした。


この旅の目的は、地球上で最も放射線で汚染された場所のひとつであるルーニット・ドームを訪れることだった。米国は1946年から1958年までにエニウェトク環礁で43回もの核実験をした。43回のうち17回はこのドームが作られ残されたルーニット島で行われた。


1977年から1980年まで、米国が放射能汚染されていると認定した島の表土30ー45cm を4300人の米軍兵たちが削り取った。この汚染土は、1958年の5月5日にカクタスと呼ばれる核兵器実験によってできたクレーターの中に、180kgにも及ぶプルトニウムと他の核分裂物質とともに置き去りにされていた。そのクレーターの幅は110m、深さは11.5m。ルーニット・ドームを作った米兵たちは放射能汚染物質を扱う特別な訓練も受けていなかったし、保護具もなく、地球上で最も放射能が強いホットスポットのひとつで働いているということさえ知らされていなかった。4300人の兵士たちのうち今も生き残っているのはたった300人程度だ。彼らはこの任務について米国政府からは認定されてはいない。


悲しいことに、ここは放射能汚染のおかげで、僕が訪れた場所の中で最も美しく最も自然のまま残された場所のひとつだ。今後一切、ルーニット島や周りの島々に人が住めるようになることはない。


僕にとってルーニット・ドームは、核実験が行われた場所が気候変動とまさに遭遇している場所だ。ここは本当に恐ろしい場所で、僕らが気候変動の影響を止めなければ海がルーニット・ドームを飲み込んでしまい、致死性の内容物がこれまで経験したことのないような大惨事を世界中に引き起こしてしまうだろう。


ここに来て映画を作ることで、僕はこの場所を世界中に知らしめ、気候変動を止める緊急性に気づいて欲しいと、そしてこの恐ろしい場所を浄化する方法を見つけて欲しいと願っている。でも浄化するのは不可能なようだ。ラグーンや海の中にある土壌や沈殿物は最初からずっと漏れ続けているため、ますます危険になっていると、このドームを研究している科学者らは考えているらしい。


この近くにもうひとつのクレーターがあるのを知って欲しい。2年前の1956年5月4日に爆発させられたラクロスという名の核兵器実験の結果だ。




僕は、アルノ環礁の上院議員でマーシャル諸島の法務大臣でもあるマイク・ハルファーティ氏とともにエニウェトクを回った。僕らはエニウェトクの長老たちを尋ね、世界の人々にここに来てもらい何が起こったのかを知ってもらうためにどうしたいかと聞いた。すると彼らはこう答えた。ルーニット・ドームに行って世界に向かって歌いたい、その声を聞いた人々はきっと来てくれるだろうと。


2017年8月28日、21人の勇者たちがマイクに従ってルーニット・ドームに向い、自分たちのためでなく世界のために歌った。僕は彼らを「マグニフィセント22」と呼ぶことにした。






では、少し歴史について伝えよう。


アメリカ合衆国は、1946年から1958年の12年間に、エニウェトク環礁のあたりで43回の核兵器実験をしている。この時期、ビキニ環礁内とそのあたりでも24回行った。どちらもマーシャル諸島だ。最初の水爆実験「アイビー作戦マイク実験」は、エニウェトクで行われエルゲラブ島が消滅した。そこには大きなクレーターがあると聞いていた。エニウェトクの人々は私とマイク大臣をそこへ連れて行こうとしたが、時間がなかった。


エニウェトク環礁は現在、40のとても小さな島々で成っている。そこに住む人は1000人に満たない。マーシャル諸島共和国の最西端の環礁で、マーシャル諸島の人々にとってもかなり遠いところで、実際訪れたことのある人はとても少ない。


核実験の間は、米国はエニウェトクの住民をウジェラング環礁へ移動させたが、そこはエニウェトクの上院議員が言うところの大変「資源の少ない」場所だ。エニウェトクの人々はウジェラングに33年間置き去りにされたが、その間に何度も飢饉が起こり生きるために彼らはパンダン(タコノキ)の根や草を食べざるを得なかった。かなり酷い状況だった。1975年、彼らは政府の船に乗りエニウェトクへ帰ることを要求して抗議した。核兵器実験で残された放射性汚染物質浄化への国際的な圧力が合衆国政府にかかったのは、この時。


この環礁の島のひとつはルーニットと呼ばれる。12年間で17種類の核兵器の実験がルーニット島で行われた。1958年5月5日、「カクタス」と呼ばれる核実験は約110x11.5mのクレーターを残した。1958年のこの頃といえば、フェニックス・オブ・ヒロシマ(POH)号とゴールデン・ルール号がホノルルにいた。この一ヶ月後にPOH号は禁止区域に旅をする。


1977年から1980年、43もの核実験で残された放射能を「浄化」するため、合衆国は8000人強の兵士をエニウェトク環礁に送り込んだ。このうち4300人はロジュワ島に滞在し作業を行った。彼らの仕事は、合衆国によって汚染されるように決められていた島の地表約30〜45cmの土を削ることだった。


エニウェトク環礁のため米軍が用意した地図が以下だ。よく見れば特定の島名の横に黒い点があるはずだ。これらは汚染されていると考えられていた島だ。これはまったく正気の沙汰ではない。ロジュワとビジレに黒点は無いが、これらの南と北にはある。何故この2島だけが被害を受けなかったと言うのか。答えは簡単だ。受けなかったわけでない。嘘なんだ。







ロジュワ島のキャンプに送られた男たちは、放射能汚染物質取り扱いの特別訓練を受けてもいなければ、放射能から身を守る特別な設備も服も与えられず、地球上で最も汚染された環境のひとつで働くことになるとは誰も知らされていなかった。


長くなるからまた今度書くことにする。
それではまた。


ーブライアン


2020年10月25日日曜日

かくへいきのおわりのはじまり

 24日、核兵器禁止条約(TPNW)への批准国が50カ国に達し
やっと2021年1月より発効が決定。


核保有国や
唯一の被爆国でありながら日米安保に守られている日本も
批准しない姿勢ではあるもののまずは第一歩。


10年以上前から平和運動に関わってきている私。


2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)。
日本での認知そして活動支援のために作られたドキュメンタリーの
日本語字幕やナレーションのお手伝いを昨年させていただきました。


他にいくらでも平和的な使い道のある莫大な予算が
今日も世界中で軍事に使われている。
なるべく早く核兵器が地球上から消えてくれればいいのにと思います。


↓がトレーラーです。




2020年10月14日水曜日

Bahasa

 

てな感じで、日常の大きな部分がインドネシア系で埋まることが多くなり
最近は会えないけれど、マレーシア人の友達がいることもあり
一緒にやりませんか、と誘われたこともあり
インドネシア語を始めました。


あれだけ一所懸命に勉強してたイタリア語も
今やほとんど使うこともなく錆びつきまくってるのに
また新しい言葉かい?


が、始めてみれば意外と楽しい、これが。


全く知らない言葉なので覚えるのが大変かと思っていたけれど
あれれれ、聞き覚えのある単語がボチボチあるんです。
そう、シンガポールでの記憶。


シンガポールはそもそもマレーシアの一部だったから、
地名や食べ物の名前にマレー語が多い。
そしてマレーとインドネシアは同じ民族で言葉もほぼ同じ。
(というか、広大なインドネシアで公用語を決める時にマラッカあたりで使われてきたマレー語を基にしたらしい)


Bukit Timah, Bukit Merah, Bukit Panjang,
Pasir Panjang, Tanjong Pagar,
Nasi Goreng, Mi Goreng, Nasi Padang, Mi Rebus, Ais Kacang, Rambutan
とかなんとかなんとか。


意味も知らず音で覚えてたいろんなものの意味がわかって、なんか面白い。


まだまだ小学生以下の語彙しかないけれど
もうちょっと頑張って
マレーシアの友達と英語以外でちょっとは話せるまでになりたいぞ
と思うのであった。


それにしても、イタリア語もインドネシア語も
一番覚えが早いのは食べ物系の言葉なのは、食いしん坊だからだな。


マラッカのチキンライス


2020年10月12日月曜日

Ethnic Night!



この時期はいつもあれこれお祭りやらイベントが多いはずなのだけど
例の「王冠」のせいで何もない。
芸能で生活している人には、収入が全くない状態が数ヶ月続くという辛い状況。


そんな中で、助成金をもらってオンライン・イベントやろうぜという話が持ち上がり
どうなるんやろう、どうやるんやろうと思いながら参加表明したのは
「Ethnic Night」と題したジャワ芸能のお祭り。
(YouTube チャンネル: https://www.youtube.com/watch?v=7lKnWxTfAQE



いつの間にか、ガムラン鳴らしながらヨガもやりましょう、
インドネシアとも繋ぐし世界中に発信ということで英語でお願いします、
ということになってしまい、ヨガ、英語、ガムランと
ある意味、ここ数年の集大成とも言える機会となり・・・。


ワヤンも、いつもなら十数人が集まって何回も練習するはずなのだけど
今回は「三密」を避けるために半分ずつ。
そんな中、濃厚接触者になってしまったメンバーの陰性結果を待ったりと
通しで練習することもなくいきなりの本番!


音響、照明などプロにまかせっきりとはいえ
オンラインでの配信も初めてなら、
オンラインで繋ぎながらそれをまたオンラインで流すのも初めてで
音がどんな風に聞こえるのか実験に近い状態で。。
いろんな意味でドキドキ。


でも始まってみれば、
設営からリハから本番から撤収まであっという間で
ドキドキしまくりで失態しながらも楽しくて。


ワヤンの演目は「Dewa Ruci」

紙切りパフォーマンスもあり

踊りは「Lambang Sari」


マスクして換気しながら距離を保ちながら除菌しながら
とまあ、めんどくさいことになりましたが
やればできるやん、と、嬉しくなり。


10年前くらいにSkype が普及し始めて
海外で暮らしていても日本の家族と普通に話せるようになったけれど
今では、オンラインで画像繋ぐのが普通になってきて
行けないけれどますます海外が近くなってきたような気もする。
国境が薄れるというか。


・・・いや、全然越えられないんだけど、今は。
(年始に申し込んでたフライトは全部キャンセルになったし)


主催者、スタッフ、会場が許してくれるなら
もう一度やりたいねーと希望をつのらせるのでした。



2020年9月25日金曜日

Birthday 2

そろそろ家族でお食事会くらいいいんじゃないの というわけで
三人分の誕生日会をまとめてやることになりました。

京都は鴨川ほとりのリッツです。
昔はホテル・フジタでしたね。
結婚前の両親顔合わせがここだったような気もするけど、昔すぎて覚えてない。





藤田氏の夷川邸を移築されたそう
素敵すぎる和洋折衷



エントランスでの検温で何度もエラーの出る私たち夫婦でしたが
なんとか入館させてもらいました(笑)


今回は、ロカンダというイタリアンです。
スパークリング・ワインで乾杯!

シェフからのウェルカムスナック
南瓜のなんかだったと思います・・


アンティパスト:マグロのタルタル 黒米サラダ


プリモ:穴子と焼きなすのパスタ
これは、たまらんでした


セコンド:魚のソテーに豆、豆、豆


もひとつセコンド:幸福豚の炭火焼
火の通り加減が最高、やわらかーい


デザート:栗風味のパンナコッタ


バースデー・プレート
最後はコーヒーで締め。



GOto何チャらのおかげか、高級ホテルのそこそこお値段もいいレストランですが
ざっとみた感じ、ほぼ満席でした。

宿泊客も多かったようで
帰りに車を駐車場から出してもらうのにも、やたらと時間がかかりました。


まあ、たまのこんな贅沢もいいでしょう。


2020年9月13日日曜日

Birthday

コロナのせいで(?)あっという間に一年が過ぎました。
また誕生日。

去年いろいろ旅行いっといてよかった、今年はどこも行けないしキャンセルだらけ。

あまり出かけなくなった分、お洒落もほとんどしなくなったし
楽しみが少ない中、そろそろ御馳走でもお腹に入れないと
どんどん老けていきそうだ。。。
そしてなぜかこの季節は肉が食べたくなる。
普段はそんなに食べないのだけれど。

で、今年はアイリッシュの熟成ビーフをいただきに。


お祝いなので、シャンドンのロゼで乾杯
前菜はケーク・サレ
オリーブのペーストで

なんだか素敵な盛り方のサワードゥ・ブレッドに
パルメザンのクリスプ

お肉に集中するためw
サラダはシェアして



リブアイ200g、タダーン
ソースは赤ワインのと、カラメルジンジャーのと
ぺろりといただきました



お誕生日ということで
ホールケーキを頂いたのだけど
さすがに食べられず家にダーパオ
甘さひかえめ生クリームに
たっぷりイチゴで美味しかった



美味しいもの食べるってなんでこんなに幸せなんだろう
牛さんありがとう。



2020年8月26日水曜日

Singapore Groumet

お互いの国の状況などをチャットでよく連絡しあうシンガポーリアン。
いつもいっぱい御馳走してくれる素敵なお友達。

暑くなってくるとシンガポールの食べ物が恋しいわーと言ってると
ある日郵便でこんなのが届いた。
うう、これはたまらん!



 

しかし、国際便は高いなあ。。。。ほんまありがたい。